人間の感性をサポートし拡張するサービスは世界をより豊かに出来るのか(1)

大山 翔(おおやま しょう)
セントマティック(株)
プロジェクトマネージャー
大山 翔

1.絶対的な”スペック”の時代から人間中心の時代に?

 私は恥ずかしながら自分が利用しているスマートフォンのスペックを把握していない。譲り受けたものであるからという理由もあるが、記憶容量、バッテリーサイズ、チップのスペック、画面サイズについて何も把握していない。それでもなんら問題なく利用できている。私に限らずそのような方は多いのではないだろうか。スマートフォンに限らず、世の中の様々な商品において、「機械的なスペック」に対して関心が向けられる機会が減ってきていると感じる。実際のところ、特にコンシューマー向けのサービスにおいては、(ISO準拠ではなくとも)人間中心設計(Human Centered Design=HCD)や、それに類似する概念は、もはや新しいものではなく、多くの企業のサービス開発において、ごく自然に用いられていると感じる。更に、ナラティブマーケティングと呼ばれる「物語」や「文脈」、SDGsのような社会善を重視する企業も増えており※1、消費者もそのような取組を行う企業やサービスを選好する傾向もより一般的になっていると感じる。

※1 SDGsに関する企業の意識調査(2023年)
https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/p230714.html

 このようにスペック一辺倒からの脱却は昨今の流行、企業競争において無視できないものとなっていることがわかる。しかし、一方で「物語」やSDGsではクルマのエンジンは動かず、食品から栄養も接種できず、人間は効用を得ることができない。残念ながら少なくとも当面の間は、我々人間は、生物として(比較的)原始的な効用も無視できないようだ。
 人間中心とはすなわちこの原始的な生物に対して、「物語」だけでなく、彼らの感覚器官(センサ)を通じて、彼らの脳を満足させること言えるのではないだろうか。

2.感性を測るということ

 感覚器官が感じ取るその対象は、化合物、光や音波といった物理的な性質をもったものである。物理的な性質そのものを計測したければ、例えば木材の長さを測りたければ定規を、重さを測りたければ重量計を使えば良い。しかし我々は物理そのものを受け取っているわけではなく、感覚器官を通じてそれらを感じて(計測して)おり、物理的な性質と感覚器官を通じた「精神的な性質」はイコールではない。
 精神的な性質の曖昧さを示す事例としては様々な錯覚があげられる。ミュラー・リヤー錯視は誰もが一度は目にしたことのある有名な錯覚であると思う。図1

図1 ミュラー・リヤー錯視
図1 ミュラー・リヤー錯視

 上記のような錯覚の事例においては、物理的な性質は「実際の2本の線の長さの大小」であり、精神的な性質は「体感する2本の線の長さの大小」である。画面上の線の長さを錯覚してもなんら問題はないが、現実には致命的な錯覚というものも存在する。
 致命的な錯覚に航空機パイロットが陥る空間識失調(バーディゴ)がある。バーディゴは熟練のパイロットであっても、健康体であっても生じるまさしく錯覚の一種であるが、高速で飛行する戦闘機においては墜落等の致命的な航空事故に繋がる危険な錯覚である。バーディゴが発生する原因は複数あるが、感覚に関係するものとしては、身体のバランスや位置感覚を司る内耳にある三半規管と前庭系の錯覚に由来するものがある。航空機が一定の速度で回転や旋回を続けると、三半規管はその動きを「新たな平衡状態」として感知してしまい、旋回が停止した際には逆に回転しているように感じる(錯覚する)ことがある。このような状況では、計器飛行(Instrument Flight Rules: IFR)を遵守することが重要である。視覚や平衡感覚に頼らずに、各種計器の数値をもとに、機体の姿勢、速度、高度、進行方向などを把握し、飛行姿勢を修正し、安全な飛行状態へと戻していく。
 飛躍した例にはなるかもしれないが、企業経営においても「データドリブン経営」といった考え方が存在する。様々な企業経営に関係するデータ(売上、原価など)をITシステム経由でモニタリングし、意思決定に繋げることが出来るというものだ。特に複雑化する事業状況における、経営者の「勘、経験、度胸」による(錯覚も生じうる)経営から、データによる経営への転換は、先のパイロットの事例と通ずることがあると感じる。
 このように現実(外的な刺激)と主観(内的な感覚)との関係性を明らかにする学問を精神物理学というが、この精神物理学的な考えを簡易的に事業へ組み込めるサービス事例を紹介したい。

3.サービスの紹介(計測する)

 私は幸いなことに(?)人間の感性に関係する2つのサービスの開発や運営に携わってきた(また多くの企業に向けて同様な領域のサービス開発のコンサルティングを提供してきた)。それぞれが対象とする感覚も業界も異なるが、感性を対象にしたサービスという括りで近しいと感じることも多い。

3.1 D-Planner®(株式会社NTTデータ)

https://d-planner.nttdata-neuroai.com/
 本サービスは、人間の脳情報をベースに作成されたAI(NeuroAI®)をベースに作られたクラウドサービスである。NeuroAIは人間が外界の刺激を、目と耳で感じた際の脳活動を予測するAIである。(D-Planner® 及びNeuroAI®はNTTデータの登録商標です。以下D-Planner及びNeuroAIと®を省略して記載します。)
 現代においては、TVCMやWeb広告等の形態を問わず、企業の消費者向け広告物は、接触数や視聴数等のスコアは簡易に計測が可能となっている。一方「デザインそのもの」がどのような影響や効果を持つかの計測は簡単ではなく、広告主はどのような広告デザインを選定すべきかを「勘と経験と度胸」に頼らざるを得ない問題があった。ここでいう「デザインそのもの」とは、広告物に絵、写真、図表、デザインされた文字(フォント等)で表現されるデザイン全般を指す。
 本サービスでは、それらの広告を見た視聴者が、どのような印象や好意を抱くのかを予測することが出来る。(具体的に計測できる項目は公式HPを確認されたい)

 具体的なビジネスへのインパクトとしては以下のURLに詳しい。D-Plannerを通じたデザイン選定を通じて売上の拡大を達成している事例がある。

『店頭販促物のビジュアルデザインを改善』
https://d-planner.nttdata-neuroai.com/case/cat11/003.html

3.2 KAORIUM(セントマティック株式会社)

https://scentmatic.co.jp/
 本サービスは、香りを言語化するAIを搭載した筐体を軸としたサービスである。
「香り」は文字通り目や耳でハッキリと捉えることが出来ない。遺伝的な要因によって同じ香りに対する感度が異なること、すなわち個性/個人差があることも判明している。※2

※2『ムスクの香りの感度に影響を与える嗅覚受容体の遺伝子多型の発見――ある匂いの感じ方から別の匂いの感じ方を予測できる可能性――』
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20230113-1.html

 嗅覚特有の難しさとしてセンサの観点から見える問題としては、検出対象の広さと、検出機(センサ)の複雑さがある。嗅覚は鼻の奥にある嗅覚受容体というセンサが対象の香り物質(タンパク質等の化学物質)と結合すると、電気信号を発し神経細胞を通じて脳へと伝達されていく。基本的な仕組は視覚や聴覚と基本的に変化は無いが、嗅覚特有の特徴として「嗅覚受容体の種類の豊富さ」「対象となる香り物質の豊富さ」が挙げられる。一般的に嗅覚受容体の種類は400種類程度であり、単純な比較は難しいが、視覚より圧倒的に種類が多いといえる。また、検知可能な物質は数万種以上と、これも視覚と比較して圧倒的に種類が多い。
 さらに、香りは時間経過に伴い変動するように感じられるという特徴もある。香水においてはトップノート、ミドルノート、ラストノートと時間経過に伴い香りの感じ方が変化することが知られている。香水におけるこのような変化は多くは香料が揮発する時間差によるものであるが、香料単体であっても、光と異なり即時に嗅覚細胞は香りを感じるわけではなく、香りへの暴露後、細胞の興奮までには多少の時間差が生じる。 これらの理由から嗅覚は複雑で捉えどころがなく、扱いが難しい感覚であるといわれる所以である。

 嗅覚を刺激する、すなわち「香りのある」商材は様々存在する。KAORIUMにおいても飲料や香水といった領域へ業務適応が進んでいる。具体的なビジネスインパクトにおいては、以下に事例がある。

『お酒の風味と香りを言語化するソムリエAI「KAORIUM for Sake」 紀ノ国屋 ワイン売り場での実証実験結果を発表 前月比18%の売上UPを達成』
https://scentmatic.co.jp/news/20240328

 それぞれのサービスが出来た経緯、思いは異なるが、どちらも曖昧で捉えどころない「感性」を、なんらか機械の力を借りて見える化し、組織や自分自身のなにかしらの意思決定を補助するツールとして活用していることがわかる。従来は、D-Plannerであればデザイナーやプランナー、KAORIUMであれば店員やソムリエ、といった人間のプロフェッショナルが解決していた分野にAIが参入しており、感性の領域においても人間の可能性を拡張する方向性は今後より活発になっていくと考えられる。



次回に続く-



【著者紹介】
大山 翔(おおやま しょう)
セントマティック株式会社 プロジェクトマネージャー

2015年慶應義塾大学経済学部卒業。新卒でNTTデータに入社。鉄道会社、自動車メーカー、研究機関等多くの企業に向け、ニューロサイエンスに関する営業企画、商品企画や、戦略~業務コンサルティングサービスを提供。通信事業者向けの大規模システム統合プロジェクト、インフラ事業者との新規事業創出、事業連携に従事した後、2020年よりNeuroAI及びD-Plannerの企画、後にサービス主幹を担当。多くの消費財メーカー、サービス業向けにサービス提供を実施。2024年より現職。主にフレグランス領域で営業企画やサービス企画を担当。

【著書(共著)】
『ヒトの感性に寄り添った製品開発とその計測、評価技術』内第5章1節『NeuroAIを用いた広告クリエイティブの可視化と効果予測』