1.はじめに
ユーザのニーズが多様になり,プロダクトやサービスのカスタマイズ化やパーソナル化への要求が高まっている.この実現には個人の感性を的確に把握し,それにあわせて具体的なプロダクト・サービスのデザインに展開する方法論が必要になる.
著者らは,感覚・感性を指標化し,指標を介したプロダクトデザインを通して新たな感性価値を創出するための研究に取り組んでいる.また,最近ではDX(Digital Transformation)やEC(E-Commerce)の推進に伴い,触覚情報も視覚・聴覚情報と同様に定量的に扱う方法論への注目が高まっており,この感性の指標化技術の方法論を,触感に展開することで,触感と物理量との関係を定量的に扱うことを可能とする触感定量化技術の研究にも取り組んでいる.本稿では,この触感定量化技術のうち特に触感計測についてその原理を紹介する.さらに当該技術による応用事例としてふきとり化粧水の処方設計,所望のテクスチャ触感を有するハイトマップ生成の事例について紹介する.
2.感性指標化技術の触感への展開
感性研究において中心的なトピックの一つが印象(イメージ)の定量化である.プロダクトデザイン分野においては,人がプロダクトに対して「好き」や「欲しい」などの感情(感性価値)を抱くのは,「かわいい」や「美しい」といった印象を抱くからであり,またこうした印象は色や表面性状などの物理要因によって形成されると捉えられている.
我々が研究を進めている感性指標化の枠組み(1)を図1に示す.ここでは感性のモデルを「感情―印象―物理量」の3層からなる階層構造として表現する(2).最下位層である対象の物理量から、上位要素である対象の印象、印象に基づく総合評価である価値や価値によって喚起される内的な情動までの階層的な対応関係を構成する。印象層を介することでヒト(価値)とモノ(物理要因)の対応関係における感性的な価値形成の根拠(因果関係)が明らかになり,プロダクトデザインへのフィードバックが容易になる.また印象層で個人差の補正を行えるので,モデル全体の精度が上がるというメリットもある.
モデル化のフローは図1に示すように、心理学実験と統計解析に基づくものである.主観評価によって有効な評価語セットと対象物セット(プロダクトやサービス)を選定し,次にこれらの対応関係を主観評価によってデータ化し,統計解析によって指標を構築し、さらに物理要因とマッピングする。フローの各ステップでは開発者の予断や先入観を極力排除し、対象となるヒトが対象となるモノから喚起される反応を正しく取り出し、これを真値 (grandtruth) としてモデルを構築する.こうして構築されたモデルによって,対象物の持つ価値やそれにより喚起される情動を定量化・可視化し,逆に情動や価値をもたらす物理要因を求めることができる.
著者らは,この感性指標化の枠組みに基づいた触感の指標化・定量化の研究に取り組んでいる.この研究では、他感覚に対する触覚の特殊性を考慮する必要がある.通常,我々は手を動かして物に触れることで触感を得る.このアクティブタッチにより得られる触感は、物の物性値のみでは説明できない.皮膚の振動や摩擦といった人と物の相互作用を考慮することが重要であるとされている(3).つまり、触感と物理量の定量的関係を扱う上で、ヒトの要因を考慮することが鍵となる.本稿で紹介する触感定量化技術は、アクティブタッチ時の皮膚の状態に基づいた触感と物理量の関係性を定量化している.さらに,所望の触感を実現するための枠組みとして,触感計測,シミュレーション,ディスプレイ技術に関する基盤技術と応用研究も進めている(図2).この触感定量化技術は,自動車,化粧品,化学など幅広い業種のプロダクトデザインに展開されている.
3.触感計測
本章では,触感計測の研究について示す(4).当該研究は,モノの表面を撫でた際に得られるテクスチャ触感を,実際にモノに触れた際に生じた振動量に基づいた客観計測の実現を実現するため,摩擦力及び押込みに対する反力の時間プロファイルを計測するための専用デバイスを試作し,布地表面を撫でた際に得られた触感と振動量の同時計測し,そこから振動量から触感を予測するためのモデル構築法を確立した(図3).次に,布地を対象とした触感予測モデル構築の事例を示す.
3.1.試作装置
サンプル表面を撫でた際に指の接触面に加わる2軸(垂直,水平方向)のちからの振動情報を計測するための装置を試作した.本装置は,図4に示したように刺激資料を布置する台と,それを垂直及び水平方向から保持する振動板,そして振動板の歪を電気信号に変換するロードセルから構成され,摩擦力と押込みに対する反力の時間プロファイルを計測できる.
3.2.主観評価に基づく触感の指標化・定量化
布地の表面をなでた際に得られる触感を指標化・定量化するため,大学生及び大学院生20名(男性17名,女性3名,平均年齢22.4歳)の参加者を対象とした主観評価実験によるデータ収集と,そのデータを対象とした因子分析を実施した.実験刺激には,質感サンプルセット(武井機器工業株式会社)に含まれる,10×10 [cm]の金属板に貼り付けられた図5(a)に示した13種の布地を用いた.また,評価項目として5つの材質感次元(マクロ粗さ,ファイン粗さ,硬軟感,摩擦感,温冷感)を代表する図5(b)の12項目を採用した.
主観評価実験において参加者は,実験刺激が見えない状況において,実験刺激を約1 [N]の押込み力で,約5 [cm/s]の速度で撫で,その際に感じた触感を各評価項目についてどの程度当てはまるかを5段階のリッカート尺度により回答した.なお,実験刺激の提示順序は参加者毎にランダマイズした.
主観評価実験によって,各刺激について12評価項目,20名分の評価データが得られた.このデータから触感の印象を代表する特徴量を抽出するため,まず各刺激について12の評価項目それぞれに対する20名の評価の平均点を求め,これを各刺激の評価項目毎の代表値とした.更に,布地触感の印象に関する心理構造を把握するため因子分析を実施した.因子分析時,因子抽出法は最尤法,回転はプロマックス回転,因子数はカイザーガットマン基準により決定した.その結果として,布地の触感は粗さ(roughness)と硬さ(hardness)の2因子により表現できることが分かった(図5(b)).これは,各刺激の触感を粗さと硬さの因子得点により感性量を指標化できることを意味するものである.図5(c)は,粗さと硬さの2次元空間における各刺激の分布を示したものであり布地の特徴を良く捉えており,真値として適切な指標が得られたことが分かる.
3.3.振動計測と特徴量抽出
前述の試作装置を用いて,主観評価実験と同様の条件で布地を撫でた際に皮膚に生じた振動を計測し特徴量を抽出する.計測は,主観評価実験に参加した20名の参加者を対象として, 13種類の布地について実施した.参加者は,1種類の布地について1.02[N]の押込み力で,5 [cm/s] の速度でサンプルを上から下に向かって10回撫で,その際の振動記録した.
触感は指の皮膚内部に存在する4つの触覚受容器を介して振動が知覚されることで形成される.この触覚受容器は,3つの異なる振動周波数に対して感度を持ち,指全体で振動周波数に対してフィルタバンク状のセンサ構造を形成することが知られている.これは振動情報が脳に伝達される以前に受容器が応答する振動周波数に対応した少数の要素に集約されることを意味しており,触感と振動の関係をモデル化する上で,振動情報,すなわち周波数特性を集約的に表現することが触感との関係を考える上で有意であるといえる.
この観点から,収集された摩擦力・押込み力のデータについて,4つの触覚受容器の周波数応答の多様性を表現する大凡200[Hz]までの情報を抽出し,周波数特性としてパワースペクトル密度を求め,得られたスペクトルに対して主成分分析を適用した.その結果として,摩擦力については6,押込み力については15の主成分を抽出した.図3には,主成分負荷量を示しており,図中のそれぞれの線は主成分の基底ベクトルであり,周波数成分の関連の強さを表している.各主成分は,ことなる周波数帯域を代表している.また,主成分に対応する主成分得点は,主成分が代表する周波数帯域の振動の大きさを表す特徴量であり,これを振動特徴量として採用した.
3.4.触感予測モデルの構築と評価
触感予測モデルは,触感指標を目的変数,振動特徴量を説明変数とした重回帰分析により構築する.図6(a)は,布地の触感を構成する粗さ(roughness),硬さ(hardness),それぞれのモデル構造を示したものである.この結果から,粗さ,硬さは異なる周波数成分から形成されており,必ずしも振動の大きな成分が触感形成に寄与していない.これは主成分分析が振動の機械的特性を反映したものであり,必ずしも周波数毎の振動の知覚量と対応しないことに起因する.この知覚量への変換特性はモデル係数の重みとして反映されている.
更にモデルの予測精度について,leave-one-out交差検証法による検討を試みた.交差検証では,布地の1つを未学習データとして選択し,残りのデータを学習データとしてモデルを構築し,構築したモデルにより未学習データの各触感因子の予測値を求めた.これを1全ての布地について行い,未学習データから得られた触感の予測値と主観評価によって得られた触感の観測値とを比較した.図6(b)は,各触感についての評価結果で,何れの触感についても一直線上に布地が分布しており,決定係数は粗さ,硬さそれぞれ0.89,0.85と高く,著者らの提案した手続きにより触感を高い精度で振動情報から予測できるモデル構築が可能であることが分かる.
次回に続く-
参考文献
- 長田典子, 感性の指標化とプロダクトデザインへの応用, 電子情報通信学会誌, Vol.102, No. 9, pp. 873-880 (2019)
- 片平建史,武藤和仁,橋本翔,飛谷謙介,長田典子,SD法を用いた感性の測定における評価の階層性,日本感性工学会論文誌,Vol.17, No.4, pp. 453-463 (2018)
- 伊豆南緒美, 田中由浩, 佐藤真理子, 皮膚振動・摩擦と衣素材の触感に関する研究, J Fiber Sci and Technol, Vol.77, No. 9, pp.239-249 (2021)
- 山﨑陽一, 飛谷謙介, 谿雄祐, 井村誠孝, 亀井光仁, 長田典子, 感性工学的手法に基づく触感予測モデルの構築と評価〜布地触感予測の実現〜,電学論C, Vol.142, No. 5, pp.616-624 (2022)
【著者紹介】
山﨑 陽一(やまざき よういち)
関西学院大学 工学部/感性価値創造インスティテュート 特任准教授
■略歴
2012年4月 愛知県立大学大学院情報科学研究科 博士(情報科学)取得
2011年4月〜2016年3月 公益財団法人科学技術交流財団 知の拠点重点研究プロジェクト統括部 研究員
2011年4月〜2016年3月 愛知県立大学情報科学共同研究所 客員共同研究員
2016年4月〜現在に至る 関西学院大学 工学部/感性価値創造インスティテュート 特任准教授
専門は,感性工学,生体医工学,生体シミュレーション,医用画像処理等.(公)科学技術交流財団では,血流刺激に対する血管の動きを血管壁を構成する細胞の振る舞いから説明可能なマルチスケールモデルの開発とその応用に関する研究に従事.関西学院大学では,モノと感性の定量化技術及びプロダクトデザインへの応用に関する研究に従事.
長田 典子(ながた のりこ)
関西学院大学 工学部 教授 / 感性価値創造インスティテュート 所長
■略歴
1983年京都大学理学部数学系卒業,同年三菱電機(株)入社
産業システム研究所においてマシンビジョンの研究開発に従事
1996年大阪大学大学院基礎工学研究科博士後期課程修了
2003年より関西学院大学理工学部情報科学科助教授
2007年同教授
2009年米国パデュー大学客員研究員
2013年感性価値創造研究センター長
2015年革新的イノベーション創出プログラム
「感性とデジタル製造を直結し,生活者の創造性を拡張するファブ地球社会創造拠点」サテライトリーダー
2020年感性価値創造インスティテュート所長.博士(工学).専門は感性工学,メディア工学等.
著書「感性情報処理」(共著)他
2013年文部科学大臣表彰科学技術賞(科学技術振興部門),2023年兵庫県科学賞受賞