1.はじめに
海洋は地球環境変動に大きく関与しており、地球環境の現状把握や将来予測のためには海洋の広範囲にわたる生物地球化学的な観測を実施し、海洋の役割を理解する必要がある。人工衛星や航空機を使ったリモートセンシングは、広範囲に観測データを取得することが可能であるが、海洋のごく表層での数種類の測定項目に限定され、データの取得は気象条件に左右される。観測船による採水・船上分析は、基本的かつ確実な手法であるが、海洋の広い範囲で水柱全体の鉛直連続観測や長期間連続観測は不可能である。さらに海洋の化学成分分析・解析は、専門技術・知識を持った「職人技の世界」であり、取得できるデータ数が制限されてきたことは否めない。
一方、現場計測装置は海水中の化学成分を現場(海中)において計測できる装置であり、空間的・時間的に連続したデータを取得することが可能である。現場計測装置は現場分析計と化学センサに大別される。現場分析計は、試料と試薬を混合して光学的手法で計測する陸上での分析技術を、連続流れ分析化(連続的に流れている試薬中に試料を導入してキャピラリーチューブを流れる間に化学反応をさせた後、検出器で分析成分を検出し定量する自動分析法)して現場計測に適用したものである。多化学種測定機能や自己補正機能を持たせることが可能であるが、試料採取から測定までのタイムラグが大きく、装置自体が高価であることや試薬が必要であるために装置全体が大型化することは避けられない。化学センサは、電極や半導体素子などの電気化学的デバイスを用いたり、試薬を含浸させた膜や特定の成分に感応する物質と光学的デバイスを組み合わせて、対象成分を直接現場計測するものである。電子回路基板やデバイスなどの構成部品が小型で試薬等を必要としないため、装置自体が小型・軽量・安価で取り扱いが容易であるが、測定は単一の化学種に限定される。いずれの現場計測装置にしても、海洋で使用するための測器の開発は水圧との戦いであり、海水中に高濃度に存在する主要イオンに対して対象成分を正確に計測するためには、より高い選択性が要求される。
本稿では、現場計測装置のうち化学センサについて、筆者が取り組んできた化学センサの開発と現場への適用を紹介する。
2.化学センサによる現場計測
海洋科学の研究で海水の直接計測に利用されているセンサとしてはCTDが最も一般的である。CTDは電気伝導度(Conductivity)・水温(Temperature)・深度(Depth)を同時に連続的に測定するためのセンサパッケージであり、透過度計(あるいは濁度計)、蛍光光度計、光量子計、溶存酸素計などのセンサもCTDと組み合わせて利用されている。CTDセンサパッケージは多筒採水システムと組み合わせて観測船上からの鉛直連続計測が行われているが、前述のように、この方法では観測できる測点数に限界がある。
近年、機動性の良い小型の無索無人海中ロボット(AUV)、自律型水上船(風力や波力を利用した推進力によって海上を移動して観測が可能な自動観測機器)、海洋グライダーやフロート(自身の浮力を調整することで水中の鉛直プロファイル観測が可能な自動観測機器)などの自律して移動する海洋観測プラットフォームがめざましい発展を遂げている。小型・軽量の化学センサは、ペイロードの小さい自律型海洋観測プラットフォームへの搭載が容易であるため、化学センサ搭載海洋観測プラットフォームによる広範囲・長期間の連続海洋観測への展開に期待が寄せられている。しかし、このような海洋観測プラットフォームは常に移動しているため、現場計測においては搭載する化学センサに素早い応答速度が求められる。
3. 現場型pH/pCO2/ORPセンサ
大気中のCO2濃度上昇に伴う海洋の炭素循環メカニズムの解明や海洋酸性化のモニタリング、新規海底熱水活動域(熱水鉱床)の探査、CCS(CO2回収・貯留)における貯留CO2の漏洩検知や海洋への拡散・挙動モニタリングなどに関連して、海洋の表層から深海まで、海洋中のpHと二酸化炭素分圧(pCO2)の高精度な連続計測や長期計測へのニーズが高まっている。
筆者は、これまでに海洋中のpH、pCO2、酸化還元電位(ORP)を高精度に同時計測するための現場型センサを開発し1),2)、深海を含む種々の海域において現場計測を行ってきた。図1に現場型pH/pCO2/ORPセンサを示す。pHセンサは、pH電極としてイオン選択性電界効果型トランジスタ(ISFET)を、参照電極として塩化物イオン選択性電極(Cl-ISE)が用いられている。pCO2センサは、この現場型pHセンサの電極部を内部液で満たしたガス透過膜で封止しており、海水中のCO2がガス透過膜を透過して内部液のpHを変化させることでpCO2を計測する。ORPセンサは、作用電極として白金を、参照電極としてCl-ISEが用いられている。これらのセンサに用いられている電極は全て固体電極であるため、耐圧性や耐衝撃性が高く、計測においては応答時間が1秒以下と極めて短いため、移動する海洋観測プラットフォームへの搭載に最適である。
海洋観測プラットフォーム等への搭載に際し、電子回路基板の小型・省電力化とマルチチャンネル化が必要であった。図2は小型・省電力化した電子回路基板である。開発当初の電子回路基板ではデータロガー基板とサブ基板(ISFET-pH電極あるいはORP電極の制御)の組み合わせで1成分の計測であったが、この電子回路基板では、小型・高性能化した1枚のメイン基板(サブ基板の制御とデータロガ)と3枚のサブ基板(ISFET-pH電極とORP電極の制御)を組み合わせてマルチチャンネル化し、3成分(pH/pCO2/ORP)の同時計測を可能とした。また、この電子回路基板は、1枚のメイン基板に対して最大で16枚のサブ基板が接続できる。
次回に続く-
参考文献
- 下島公紀,許正憲: 化学センサの海洋学への適用 −ISFETを用いた深海用pHセンサの開発−, 地球化学, 32, 1-11 (1998).
- Shitashima, K., Kyo, M., Koike Y. and Henmi. H. “Development of in-situ pH sensor using ISFET”, Proceedings of the 2002 International Symposium on Underwater Technology. IEEE/02EX556, 106-108 (2002).
【著者紹介】
下島 公紀(したしま きみのり)
東京海洋大学 海洋資源エネルギー学部門 教授 学術博士
■略歴
- 1989年3月広島大学大学院生物圏科学研究科博士課程後期修了 学術博士
- 1989年4月日本学術振興会特別研究員(東京大学海洋研究所)
- 1990年8月(財)電力中央研究所 我孫子研究所 研究員
- 2006年7月(財)電力中央研究所 環境科学研究所 上席研究員
- 2011年6月九州大学 世界トップレベル研究拠点カーボンニュートラル・エネルギー国際研究所 CO2貯留研究部門 准教授
- 2016年4月東京海洋大学 大学改革準備室 教授
- 2017年4月東京海洋大学 海洋資源エネルギー学部門 教授
■受賞歴
2004年10月 第一回 堀場雅夫賞