巻頭言
新たな時代の訪れやイノベーションは、必ずキーとなる複数の技術が統合されて実現している。2019年度のノーベル化学賞には、リチウムイオン2次電池(LIB)を創った旭化成(株)の名誉フェロー吉野彰博士が米国の2人の科学者と共に受賞に輝いた。日本の民間会社の物造り研究の受賞であり、会社の研究者にも大きなチャンスがあることを示した喜ばしい事である。映像、電子・情報機器の携帯化、パーソナル化を実現し、社会生活の在り様を変えた電池である。また、LIBは、小型で、大容量の極めて高いエネルギー密度を有する。この理想の電池を安全に使う為には、温度センサと充放電の制御回路が必須であり、センサ技術も深くかかわる。
ところで、センサが使われるシステムは語られても、センサが前面に出ることはこれまで稀有であった。AI、IoT時代を迎え、何ゆえにセンサが必要であったか、センサが如何なるイノベーションと関わったか、如何なる産業貢献をしたのか、我々の生活を如何に変えたのか、センサの果たした役割を知り、語ることも大切である。
一例であるが、著者らが開発した高感度InSb薄膜ホール素子は、20世紀の最後の20年を象徴する、家庭用VTR、PC、パーソナルオーディオ等の機械駆動に必須の回転の角速度を精密、且つ自由に電子制御出来る超小型のDCブラシレスモータ、通称ホールモータの開発、実用化、量産供給を実現した磁気センサである。放送局独占のVTRは家庭に入り、旅行や楽しい家庭生活、ドラマなどの動画映像を自由に楽しむことが出来、更に、コンピュータは小型化し、PCとなり、インターネットに象徴される電子情報化社会の実現に貢献し、社会の在り様も大きく変わった。2014年には、社会貢献の大きな電気の技術として、電気学会の「でんきの礎」顕彰に於いて、「電子制御モータを生んだ高感度InSb薄膜ホール素子」として顕彰された。
回転を自由に可変制御出来るホールモータは、歴史上で人類が手にした最も欲しかった動力技術であり、夢の動力である。また、三種の新規技術、①角速度を電子制御する電子回路(駆動&制御回路)、②強力な永久磁石回転子、そして、③回転子の位置や速度を高精度検出する超小型磁気センサが統合されたモータである。ホール素子の役割は、従来の磁界計測とは全く異なり、回転制御の情報を得て制御回路に入力する微小な電子部品センサであった。モータの駆動の為に、駆動制御回路(CPU の一部というべき)へ、(回転)情報を取得(センシング)し入力する部品というセンサ機能の新たな役割の発見とその実用化がイノベーションを起こした。磁気センサは、時代が必要とした動力を生むことで、社会のライフスタイルを変えたことは確かである。これは、センサ技術がライフスタイル変える時代の到来を意味している。
更に、未来への指針も示した。21世紀は、IoT、AI時代である。ホールモータは、①磁力を生むコイルと回転系の機械構造から成る(従来の)モータに、②回転を検出する磁気センサ(耳目に相当)が付けられ、その信号により、③どの様にモータを回転させるかを指示する制御回路=頭脳(モータ駆動回路)が付与されたモータである。これは明らかに、AIモータの原型である。将来、④学習能力、⑤考察力が備われば、AIモータとなる。磁気センサやホールモータの先にAI動力創出の夢が見える。
21世紀の中葉に向け、研究開発や物創りを志す技術者や研究者にとってセンサ技術が如何に時代を変えたか、何を変えることが出来るかを知ることは、研究のモチベーションともなり、極めて有益である。社会の在り様を変えるセンサ技術へ若いセンサ研究者、技術者の挑戦を期待したい。
§1 高感度薄膜ホール素子の開発と応用のインパクト
1.1 高感度薄膜ホール素子のニーズと開発の背景
本稿の巻頭言では、センサ技術の置かれた現状や未来への役割などを述べた。今回は、戦後日本人の高度成長の夢を叶える役割を担い、近年応用が著しく拡がる磁気センサ、高感度薄膜ホール素子技術に焦点を当てた。
高度成長が軌道に乗った1970年代後半、オイルショックも経験した日本の電気、電子メーカーは、カラーTVに次ぐ、次代の大型商品、家庭用VTRやコンピュータの小型化(PC化)の開発に注力していた。世にいう、軽、薄、短、小の時代への突入の始まりであり、ハンデイ(携帯?)または、パーソナルユース、家庭用が合言葉であった。開発を狙ったシステム、VTRの例では、テープ走行の精密な制御や回転ヘッドの駆動等に、角速度が精密に制御できる超小型モータによる駆動が必須であった。更に、従来のモータの様なブラシによる電磁ノイズの発生が在ってはならなかった。勿論PCも同様なモータを必要としていた。この様な目的に適合するモータは、永久磁石回転子を備えた直流駆動(DC駆動)ブラシレスモータである。開発に必要な技術は、①強力で保持力の高い永久磁石、②精密な角速度制御用の小型で低コスト制御回路、③回転検出に超小型で高感度の磁気センサ、ホール素子が必要であった。当時、強力な永久磁石は磁石メーカーの研究開発、また、制御回路開発は、電機・電子メーカーの社運をかけたLSI開発が期待できた。その一方で、当時のホール素子は、磁界計測用プローブであり、感度も低く、手作りで、電子部品として超小型DCブラシレスモータに使えるホール素子ではなかった。 更に不都合なことに、当時はSiのLSIやGaAs系の電子素子の研究開発が中心であり、重要であってもホール素子研究は無く、ホール素子入手は大問題となり、VTRやPC開発の大きな障害となった。しかし、問題を解決したのは、電気・電子系のメーカーの研究ではなく、オイルショックの後の企業体質転換を迫られていた、全く異業種の旭化成工業(株)(現旭化成株式会社)が手掛け開発した高感度InSb薄膜ホール素子であった。
1.2 高感度InSb薄膜ホール素子の開発
旭化成工業(株)のホール素子の本格研究は、1974年に始まった。しかし、当時の研究グループは、半導体の専門家は皆無であり、数々の未経験の課題に、議論に議論を重ね、更に、実験と試作を重ねた。また、失敗、トラブル、また失敗という数々の危機があった。振り返れば、至難、曲折を極めた研究であった。しかし、何れもかろうじて乗り越えた。その一は、世界最初の真空蒸着によるInSb薄膜の工業的量産技術、その二は、従来比で一桁上の磁界検出の高感度化、第三は、半導体素子としての量産製造技術の確立である。更に、電子部品として必須の信頼性、耐熱性等のユーザの強力な要望を完全にクリヤーする性能の実現や長年問題とされていたInSbホール素子の温度依存性の改善という難題もあった。研究スタート以来7年が経過し、漸く1980年、延岡に小さな工場がスタートした。しかし、困難は続いた。
こうした数々の生みの苦しみ(?)を乗り越えて、最終的に開発した高感度InSb薄膜ホール素子の特性は、従来比20~30倍(当時)という世界トップの超高感度で、大きなセンサ出力(200~300mV/V0.05T)を有していた。そして、超小型樹脂パッケージで高温自動実装に耐える260℃の耐熱性があり、実用性は極めて高く、更に、特筆すべきは、従来の磁界計測プローブとは全く違ったコンセプトの電子部品センサであった。この高感度InSb薄膜ホール素子(市販の製品)の写真をFig.1に示し、特徴を表1に示した。
特徴 | |
1 | 従来の常識を破った高感度ホール素子 (従来比20~30倍の高感度) |
2 | 超小型で量産性に優れる電子部品 |
3 | 強固な樹脂パッケージと高信頼性、耐熱性 |
4 | 磁気を利用した非接触センサ |
1.3 高感度InSb薄膜ホール素子の応用とインパクト
この高感度InSb薄膜ホール素子を使うことで、VTRやPCの機械駆動に必須のモータ、即ちホール素子により回転を検出し、電子制御により、精密に回転速度を可変制御できる超小型DCブラシレスモータモータ、通称ホールモータの実用化と量産が可能になった。
開発以来、VTR、PC等の機械駆動用の超小型ホールモータの磁気センサに多数使われ、20世紀最後の20年を代表する大型商品、VTR、PC等の開発と実用化、その普及が実現した。工場で大量生産された最新の映像機器や情報機器は、町の電気店に並び、カラーTVと並び、VTR やPCが家庭に普及した。更に、同じ頃に開発された小型の8mmTVカメラなどで、美しい景色や旅行記録、家庭の記録等が実現し、自分たちが撮影した映像が楽しめる時代が到来した。超小型化したコンピュータ、PCは、多くの人たちが日々使う情報機器として、事務所や家庭に普及し、携帯化も実現した。これらの映像、電子情報機器は遠く海外にも輸出され、世界中の人達がその恩恵を受けることとなった。そして、21世紀に向けて、PCは、更なる小型化と共にインターネットの端末としても広く世界に普及してゆく時代が始まった。Fig.2 は、高感度InSb薄膜ホール素子を使うホールモータの例である。(a)はPC用のCD-ROM駆動モータ、(b)は、VTRのキャプスタンモータである。この他、VTRでは回転ヘッドモーターやVTRカメラなどにもホールモータは多数使われた。
高感度InSb薄膜ホール素子は、電子制御回路と永久磁石回転子と共に、時代が必要とした、全く新たな電子制御モータ技術を生み、時の電機・電子産業の発展を強力にサポートする役割を担った。その社会的インパクトは大きく、高度成長は、働く人たちの収入アップにつながり、消費生活も豊かになり、日々美味しい食事を楽しみ、ドレスアップ、更に、国内は勿論、海外旅行も日常化した。センサ技術がモータ技術のイノベーションに深くかかわり、戦後日本の高度成長と豊かな生活の夢の多くを叶えた事例である。
§2 InAs単結晶薄膜、量子井戸の工業的量産と薄膜ホール素子応用
InSb薄膜ホール素子は、VTRやPC等室温やその周辺で用いる電子機器には好適で多数用いられた。しかし、限界もあった。100℃を超える高温度域や車載センサ、産業機械などより厳しい環境でも使いたいとの要望もあり、高い信頼性や使用温度域の拡大も求められた。こうしたニーズに応えるために、新たな薄膜技術による高感度InAsホール素子開発が試みられ、全く新たな技術、ナノ厚さの薄膜や単結晶薄膜の量産の製作が必要となった。
注目したのは、分子線エピタキシー(MBE)技術である。微小な面積での化合物半導体の単結晶薄膜や量子井戸の製作は可能であった。研究用、もしくは、単価が極めて高く、製作数も少ない通信用の半導体レーザや高周波デバイス等の製作では用いられたが、ホール素子の様な数百万個から数億個レベルの実用デバイス製作の工業的技術は全く出来ていなかった。しかし、魅力があった。理由は、一原子層の制御が可能な積層技術であり、単結晶薄膜や量子井戸、超格子などが製作出来ることであった。著者らは、こうした可能性に着目し、結晶成長装置の製作も含めて結晶成長面積の大面積化を試みた。研究は装置製作から取り組んだ。詳細は略するが、最も厳しかったのは、結晶成長時に加熱する為、800℃を超える高温度の基板ヒータ金属からのガス発生と~1×10-11Torrの超高真空を維持する排気の問題、及び膜厚の均一性の実現、更に、蒸発源からの蒸気ビーム強度の制御であった。
Fig.3は筆者らが1982年に開発、導入のInAs単結晶薄膜や量子井戸を大面積(マルチウエーハ)で量産製作をするMBE装置である。
このMBE装置により、世界で初めて電子移動度の大きいInAs単結晶薄膜やInAs量子井戸の量産が可能になり、厚さ0.5μmのSiをドープしたInAs単結晶薄膜ホール素子、厚さ50nm(0.05μm)の動作層のInAs量子井戸ホール素子が開発、実用化された。Fig.4(a)は、GaAs基板上にMBEで製作されたInAs単結晶薄膜ホール素子の例であり、(b)はパッケ-ジされたInAs単結晶薄膜ホール素子である。
Fig.5は、InAs量子井戸(InAsDQW)ホール素子である。左上はInAs量子井戸ホール素子のチップ、右上は、面実装パッケージの製品、下図は、InAs量子井戸ホール素子の断面を示す図で矢印はホール素子の動作層である50nmのInAs量子井戸を示している。このInAsDQWホール素子は、世界初の実用的なナノテクホール素子である。
MBE技術で製作したこれらのInAs薄膜ホール素子の特徴は、ホール電圧の磁界比例性が極めてよく、高感度、高出力と共に、素子抵抗とホール電圧(センサ信号)の温度依存性が少なく、駆動温度域が広いことである。この為、各種の非接触センサ、非接触スイッチ、車載センサ、非接触電流センサ等に広く使われている。また、リニア―ハイブリッドホールICの磁気センサとしても好適であり、使われる。
次回に続く-
【著者略歴】
柴﨑 一郎(しばさき いちろう)
(公財)野口研究所 学術顧問
■略歴
1942年生まれる。
1966年東京理科大学理学部物理学科卒業
1971年、東京教育大学(現 筑波大学)大学院博士課程修了、理学博士
物理教室教務補佐(ポスドク)をへて、1974年旭化成工業株式会社(現 旭化成株式会社)
入社、ホール素子の研究開発を担当、技術総合研究所室長などを経て、
2003年旭化成のグループフェロー就任(2004年より柴﨑研究室長兼務)、2008年旭化成退職
2009より、公益財団法人 野口研究所学術顧問(現在に至る)
豊橋技術科学大学特命教授(2009-2016)、福岡大学客員教授(2019~現在)
1988年大河内記念生産賞(社名表彰)、1995年科学技術庁長官賞、2005年発明協会会長奨励賞、2017年電気学会業績賞、2018年山崎貞一賞を受賞。2003年には紫綬褒章を受章した。