3.人工嗅覚システム
化学物質を受容する嗅覚レセプターは「化学物質の特徴的な分子構造」を認識する。そのため、ある1種類の匂い分子は複数種のレセプターに結合するし、1種類のレセプターは複数種の匂い分子を受容できる。「レセプター:化学物質=複数:複数」という関係である。
他方、味覚では、1つのレセプターが複数種の味物質を受容する。これをパターン認識ならびに選択性の視点から整理すると次のようになる。抗原抗体反応や酵素反応では原則、レセプター:化学物質=1:1対応である。一般の嗅覚では、レセプター:化学物質=複数:複数である。その結果が脳の入り口である嗅球へ集約され、情報統合がなされ、脳へと至り過去情報と照合される。「リンゴの匂い」「バラの香り」といった具合である。これは、状態(匂いの質)への高い選択性と言える。複数のデータを同時に扱うため、パターン認識が必須となる。一般の匂いとは、低分子化合物の組み合わせに他ならない。
そこで、人工嗅覚システム開発では、複数種の化学物質を認識するセンサを多数用意し、その出力をAI(人工知能)でパターン認識するという手法を採った。これは強調すべきであるが、味覚センサではAIは使用していない。
人工嗅覚システムの構成であるが、化学物質のサンプリング、捕捉・濃縮、検出(分子認識材料とトランスデューサの開発)、パターン認識、そして集積化・モジュール化という一連の作業からなる。民間企業であるパナソニックと強力な連携体制を敷き、東京工業大学、東京医科歯科大学、大阪大学、九州大学という複数の大学で共同研究開発を行った。
図4は受容材料としてガスクロマトグラフィー(GC)材料とカーボンブラックを用い、トランスデューサとして同心円型電極による電気化学インピーダンス測定を利用したケモレジセンサ(chemosensitive resistor)の作製方法、電流電圧特性、そして芳香族化合物ピロールへの応答を示している5)。
ピロール添加ON/OFFで電気抵抗が増減しているが、これは受容材料のピロールの吸着による膨潤/収縮の効果と考えられる。0.9 mmサイズの電極16個を同一基板上に作製し、その部分に異なる電気化学特性を有する受容膜を塗布した。ナノワイヤを用いた濃縮機構により約100倍の濃縮に成功し、ppbレベルの検出を可能としている。結果、ピロールやベンズアルデヒド、ノナナールといった匂いガスを90%以上の精度で識別・同定に成功している。また、人工嗅覚システムによるトイレ臭気の測定を行い、臭気判定士による官能評価と完全に一致する結果を得ることができた。
人工嗅覚システムを使い、ウィスキー、ブランデー、ワイン、吟醸酒の識別が行えるのは当然のことであるが、(同じアルコール度数の)ビール種の識別、沖縄の焼酎である泡盛種の識別も可能となっている。なお、ヒトではビール種の匂いによる識別は(味と異なり)容易ではないことを一言付記しておく。
また、その際に、電位応答の大きさ(振幅)のみでなく、動的変化(過渡応答)をフーリエ変換し特徴量として抽出することで、識別能力が格段と上がることも判明している。この人工嗅覚システムは14×14×15cm3サイズであるが、ごく最近、専用ASIC(Application Specific Integrated Circuit)を開発することで、手の平サイズへのコンパクト化にも成功した。
以上のように、広範囲の匂い(多種類の化学物質)受容を行う人工嗅覚システムの開発に成功し、その実用化も間近となっている。
次週に続く-
参考文献
5)B. Wyszynski, R. Yatabe, A. Nakao, M. Nakatani, A. Oki, H. Oka and K. Toko: Sensors, 17, 1606 (2017)
【著者略歴】
都甲 潔(とこう きよし)
九州大学高等研究院/五感応用デバイス研究開発センター
特別主幹教授/特任教授 工学博士
昭和55年3月 九州大学大学院博士課程修了、九州大学工学部電子工学科助手、助教授を経て、平成9年4月より九州大学大学院システム情報科学研究院教授。
平成20年~23年、システム情報科学研究院長。21年より主幹教授。25年より味覚・嗅覚センサ研究開発センター長。
30年より高等研究院特別主幹教授ならびに味覚・嗅覚センサ研究開発センター(現 五感応用デバイス研究開発センター)特任教授。