4.心拍のワイヤレス計測
従来、皮膚変位波形を単にフーリエ変換することで平均心拍数を計算する例が多く報告されていたが、そもそも心拍数は時間とともに大きく変動することが普通であり、そうした時間依存の情報が欠落すると、大きな精度低下が生じる。筆者らは、皮膚変位を生じる心臓の収縮と拡張に非対称性が存在する点に着目し、皮膚変位の山側と谷側を公平に扱わず、再現性が高く、信頼できる特徴量のみを選択的に利用する手法であるトポロジー法を開発した。一例として、26 GHz帯の準ミリ波レーダによる計測を通じ、被験者の瞬時心拍数を誤差約1%という高精度で計測できることを示した5-6)。その後、呼吸成分を効率的に抑圧する手法が開発され7)、睡眠中の非接触心拍計測への応用8)なども報告され、さまざまな研究が現在も進展している。
これまで、レーダによる非接触心拍計測の研究の多くは、胸部や腹部の変位計測にもとづくものであった。筆者らは、60 GHz帯のミリ波レーダにより人体の足底(足の裏)での心拍計測を初めて報告した9)。さらに、79 GHz帯レーダにより人体の頭頂部での心拍計測も報告し10)、さまざまな周波数および人体部位でのワイヤレス生体計測の性能を調査してきた。足底および頭部の計測による心拍間隔の推定誤差は、いずれも平均して20 msを下回っており、高い精度が達成されている9-10)。
このように、トポロジー法は心拍間隔を時間の関数として高精度に推定できるため、心拍間隔の時間変動である心拍変動を求めることができる。こうした心拍変動は、自律神経の活動を反映していることが知られている。例えば、心拍変動を低周波(low frequency: LF; 0.04-0.15 Hz)成分および高周波(high frequency: HF; 0.15-0.40 Hz)成分に分離すると、LF成分とHF成分の強度比(LF/HF)を算出することができる。LF/HFはストレス指標とも呼ばれ、自律神経の活動をモニタリングする目的で用いられる。
さて、はたしてレーダ計測データからLF/HFを算出することはできるのだろうか。LF/HFを求めるには、低周波成分(LF)の低域カットオフ周波数0.04 Hzの逆数である25 sを超える時間長にわたり、心拍間隔を連続かつ高精度に計測する必要がある。しかし、レーダによる非接触計測では、体動などの影響により、長時間にわたって高精度で心拍間隔が計測できる保証はないため、LF/HFなどの自律神経計測への応用は容易ではなかった。そこで、筆者らはレーダ計測された心拍間隔の時系列の性質から、レーダ計測の精度を見積もる方法を開発し、信頼できるデータのみを選択的に検出することを可能にした。その結果、精神的ストレス指標であるLF/HFを精度よくワイヤレス計測することに成功した11)。
こうして開発されてきたワイヤレス生体計測技術を社会へ応用するため、科学技術振興機構センター・オブ・イノベーション(center of innovation: COI)プロジェクトの京都大学拠点において、医療機器ベンチャー企業の株式会社マリ(京都市)などと共同で開発した研究用途の非接触見守りセンサVitaWatcher(図2)が2021年2月に上市された。同センサは、79 GHz帯ミリ波レーダにより、対象者の呼吸と心拍を非接触かつ高精度に計測する機能を有し、医療分野を含めた幅広い応用が期待されている。また、筆者らは多人数を非接触で計測するための技術開発を進めており、図3に示すとおり、任意配置の対象者7人の生体信号を非接触で同時計測できることを実証した12-13)。さらに、血圧と密接に関係する脈波伝播の非接触計測技術14-16)の開発も進めている。
5.ワイヤレス計測による個人識別・ジェスチャー識別・行動識別
ワイヤレス生体計測は、バイタルサインの計測だけにとどまらず、さまざまな応用可能性を秘めている。例えば、プライベートな場所での利用が望ましくないカメラによるモニタリングに代わり、電波センサのみによる個人識別を実現するべく、筆者らは2.4 GHz帯レーダによる呼吸計測と機械学習を組み合わせ、ワイヤレス個人識別技術を開発した17)。さらに、筆者らは4.2 GHz帯レーダによる対象者の歩行・着座運動計測と機械学習を用いて、同じく個人識別を実現した。この手法では6人の被験者に対し、約93.3%の精度で個人識別することに成功している18)。
また、筆者らは、今後のスマート社会への応用が期待されるジェスチャー識別技術の開発も進めている。2.4 GHz帯レーダによる腕の計測を行い、データに対して時間周波数解析などの計算負荷が高い処理を用いず、受信した時間領域信号のみを使って描出した複素信号軌跡(I-Qプロット)の画像に畳込みニューラルネットワークを適用し、6種類のジェスチャーを91.3%の高精度で識別できることを示した(図4)19)。さらに、レーダによる行動識別技術20)の開発も進め、ワイヤレス生体計測をヘルスケア・セキュリティの両用途へ展開することを目指し、多くの研究が進められている。
6.まとめ
ワイヤレス生体計測が提供するサービスは、何も身に着けない解放感と快適性がユーザの経験を根本的に変革し、「センサを装着せずとも環境が見守ってくれる」という新たな発想にもとづいた革新的サービスの登場が期待される。
例えば、ワイヤレス生体計測技術が導入されれば、自宅でのスクリーニングにより健康状態を常に観察することが可能となり、不要な医療検査を減らすことができる。一方、精密な検査が必要な場合には、生体情報から特定のイベントを検知し、本人に通知することで医療機関受診を促すことができ、早期発見・早期治療による健康寿命延伸と医療費削減を両立することが可能となる。
また、呼吸や心拍などの生体情報を意識した健康的なライフスタイルに興味がある人々にとっては、ワイヤレス生体計測によるモニタリングを活用し、センサを意識することなく効果的なトレーニングやエクササイズを楽しむことができる。今後、ワイヤレス生体計測が可能にするこれらの革新的サービスにより、「人」が中心となるスマート社会が実現されることを期待している。
参考文献
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【著者紹介】
阪本 卓也(さかもと たくや)
京都大学 大学院工学研究科電気工学専攻 教授
Professor, Kyoto University
Department of Electrical Engineering, Graduate School of Engineering
■略歴
平12京大・工・電気電子卒.平17同大大学院情報学研究科通信情報システム専攻博士課程了.同大学院にて日本学術振興会特別研究員PDを経て,平18同大学院情報学研究科通信情報システム専攻助手,平19より同助教,平27兵庫県立大学大学院工学研究科電子情報工学専攻准教授,平31京都大学大学院工学研究科電気工学専攻准教授,令4同教授.その間,平23から平25まで日本学術振興会海外特別研究員としてオランダ王国デルフト工科大学客員研究員兼任.平29 米国ハワイ大学マノア校客員研究員兼任.平30から令4まで科学技術振興機構さきがけ研究者兼任.アンテナ伝播国際シンポジウム最優秀論文賞(平24),電子情報通信学会通信ソサイエティ活動功労賞 (平27, 平30),堀場雅夫賞(平28),電子情報通信学会エレクトロニクスソサイエティ活動功労表彰 (平31),電子情報通信学会エレクトロニクスシミュレーション研究会優秀論文発表賞(一般部門)(令4),電気通信普及財団賞 テレコムシステム技術賞(令4)各受賞.IEEEシニア会員,電子情報通信学会正員,電気学会正員,システム制御情報学会正会員.京都大学博士(情報学).システム理論的センシング,ワイヤレス生体計測,レーダイメージングを研究テーマとしている。