1.はじめに
私たちは光と言えば、人間の目で見える可視光線(波長380〜780nm)をまず思い浮かべるが、光も宇宙を含めて空中を飛び回っている様々な電磁波の中の一つである。電磁波の中には波長が数十kmにも及ぶ電波から、十億分の1m(1nm)以下のX線や、さらに短いガンマ線まで数多くの種類がある。
宇宙に存在するあらゆる物体に対して光を当てると、その光の波長によって透過したり、反射したり、吸収したり、時には吸収した波長と異なる波長の光を発したり(蛍光)、さらにはその物体を構成する分子と光が相互作用してラマン散乱と呼ばれる現象が起きることがある。身近なところでは、物体で光が反射され、人間が視覚で色として認識できるということは、反射された可視光スペクトルが、人間の網膜に刺激を与えて色として感じさせているのである。
物体に光を当てて、その反射された光をその波長の相違によって分解し、光の波長帯(バンド)すなわち光スペクトル特性を調べることによって、その物体を構成する分子の特性や組成に関する様々な情報(分光データ)を得ることができる。この現象を利用した分光技術は、近年多方面で利用され、我々の生活に深く関わっている。
ここでは、物体を構成する分子独自の光スペクトル特性を得るために不可欠な光学部品の一つであるViavi Solutions社のハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA:Hyperspectral Filter Array)について、その技術と応用を2回に分けて紹介する。
2.ハイパースペクトルフィルタアレイおよびその製造方法
2.1 ハイパースペクトルフィルタアレイ
我々が最も身近で利用しているデジタルカメラやスマートフォンに搭載されているカメラには、赤、緑、青(RGB)という光の三原色のカラーフィルタアレイを受光部上に形成したCCDやCMOSイメージセンサなどの固体撮像素子が使われている。その撮像面にカメラレンズを介して被写体を結像させ、その光の強さに応じた電気信号を映像信号として取り出すことによって、人の目に映る色合いを再現したカラー画像を取得している1)。このようなRGBフィルタアレイは、被写体から反射された光のうち、可視光領域の光を3種類の波長帯(バンド)で3分割しただけであるが、さらにバンド数を増やすことによって、それぞれの波長ごとのより詳細な情報(分光データ)を得ることができる。
顕微鏡観察などで使われているマルチバンドフィルタアレイは多くても10バンド程度であるが、それよりも多いバンド数を有するフィルタアレイはハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA)と呼ばれている。Viavi Solutions社のハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA)は、近紫外線領域から中波長の赤外線領域(300〜5000nm)を、実用的には16〜300の波長帯(バンド)に分割することができる。また各フィルタ間の光の混色(迷光)を抑制するための遮光マスクを形成するオプションも有している2)。Viavi Solutions社がガラス基板上に形成した近赤外線領域(775〜1075nm)を64バンドに分割したフィルタアレイの分光透過特性を図1に示す。これは300nm幅の近赤外線領域を約5nmおきに64分割したハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA)である。
2.2 ハイパースペクトルフィルタアレイの製造方法
ガラス基板上あるいは先に述べたCCDやCMOSイメージセンサが形成されたウェハ上に、このハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA)を形成する方法を以下に述べる。
このフィルタは、光の持つ干渉性の原理を元に低屈折率と高屈折率の誘電体膜(スペーサ層)を交互に積層し、光の反射と吸収をコントロールすることによって形成することができる。上記イメージセンサ上に形成する場合は、厚さが可変のスペーサ層をイメージセンサの画素毎に所定の膜厚で成膜(スパッタリング、蒸着など)し、アレイ状に形成する3)4)。スペーサ層としては、例えば750〜1100nmの近赤外線領域の場合、低屈折率誘電体膜として酸化ニオブ(Nb2O5)または酸化チタン(TiO2)を、高屈折率誘電体膜として水素化シリコン(SiH)などが使われる5)。しかしながら、この方法で先述の64バンドに分割したハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA)を作製するためには、64回の成膜工程とパターニング工程を個別に行わなければならないことになり、歩留まりの低下と製造コストの増大が問題となる6)。
この問題を解決するために、ファブリ・ペロー(Fabry-Perot)共振器の原理に基づいて、厚さが可変のスペーサ層をバイナリ方式で付加的に形成していく、バイナリマルチスペクトル(BMS:Binary Multispectral)フィルタ技術による製造方法が知られている7)8)。この方法で形成したハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA)の製造工程と完成模式図を図2に示す。まず基板上(ガラス基板やイメージセンサが形成されたウェハ上)にミラー層を形成する(図2(a))。このミラー層は、銀(Ag)やアルミニウム(Al)または銅(Cu)をベースとした金属ミラー層が用いられる。その上のスペーサー層について、スペーサ層2の膜厚(光学膜厚Optical Thickness)は同1の半分(図2(b))、スペーサ層3の膜厚は同2の半分、というように1つ前の層の半分の膜厚で形成される9)。この図の場合では、8バンドに分割したフィルタアレイを形成するのに4回の成膜工程とパターニング工程でできる。製造効率の高いこの方法を使えば、64バンドであれば8回という少ない成膜/パターニング回数で製造することができる(図2(c))。スペーサ層のパターニング工程には、半導体プロセスでよく知られているリフトオフ法が使われる10)。図2(d)はこの方法で形成した8バンドの完成模式図であり、図3はViavi Solutions社の64バンドのハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA)(1片が約2mm□)の拡大写真である。
3.ハイパースペクトルフィルタアレイの利用
一般に光学フィルタは、そのフィルタを通過した光信号を電気信号に変換するセンサ素子の上に配置され、光学センサとして利用される。例えば前述したCCDやCMOSイメージセンサは、アレイ状に配置されたRGB原色フィルタ等の複数のカラーフィルタと組み合わせて、カラー画像センサとして利用される。イメージセンサに搭載されているほとんどのRGB原色フィルタアレイは、染料や顔料を用いて形成されているが、相対的に色通過帯域が広い。言い換えればRGB分光透過特性の波形がブロードで互いの波形とのオーバーラップが大きく、その結果、色の鮮やかさに劣る。さらに赤外光(IR)も透過するので、可視光領域の良質な映像を得るためには、それを遮断するIRカットフィルタを装備しなければならない。
一方、これまで述べてきた誘電体膜を使った光学フィルタは、色通過帯域が狭く、赤外光等の余分な光を通さないのでRGBの鮮明な画像を得ることができる11)12)。ただイメージセンサの小型化、高画素化の流れが速く、それに対応できる微細化に追随できていないのが現状である。
近年、近赤外線によるバイオイメージングが注目されており、中でも短波近赤外線領域(SWNIR:Short Wavelength Near-IR)は、身の回りの材料組成に関する情報の宝庫と言われている。特に650〜950nmの「第一生体窓(the first biological window)」と呼ばれている領域は、ヒトの生体組織の主成分である水とヘモグロビンの吸収、散乱が起こりにくいため、生体に対して高い透過率を持っている13)14)。この波長領域内では、加工も比較的容易で微細化もシリコンプレーナ技術を活用して小型化、高画素化に対応できるCCDやCMOSイメージセンサが使われる。特にCMOSイメージセンサの近年の技術革新は目覚ましく、微細化による小型化、高画素化に加えて、裏面照射(BSI)等による高感度化技術と高度な画像処理技術によって、スペクトル検出に理想的なレベルにまで進化した。さらにこれまで課題であった950nm付近の近赤外線領域の光子検出効率PDE(Photon Detection Efficiency)も、近年各社から発表されている裏面照射型のSPAD(Single Photon Avalanche Diode)センサの登場で克服されようとしている15)16)。
ただこのようなシリコン(Si)をベースとしたセンサ素子は、可視光領域から波長1000nmぐらいまでが限界で、それ以上になると光検出感度が急激に落ちてしまう。それよりも長波長の領域(第二、第三生体窓)では、1700nmあたりまで感度があるインジウムガリウムヒ素を使ったInGaAsセンサ素子が使われる17)。これらのいわゆる化合物光半導体受光素子は、Siセンサ素子に比べて加工が難しく、また原材料も高価であり、民生機器へ搭載するにはコスト面でも厳しい課題はあるが、近赤外線センサだけではなく、LiDAR(Light Detection And Ranging)等の半導体レーザー分野、量子ドットレーザーや太陽電池、医療用赤外線画像診断装置等、その応用範囲も多岐に渡り、今後の更なる発展が期待されている。
これまで分光技術は、物質の成分特定や分子構造の解析など、様々な分析を可能にし、大学などの研究機関だけでなく、医療の現場や、半導体・電子機器・農業・製薬・食品・エネルギーといった広範囲の分野で活用され、人々の暮らしや社会に役立ってきた。今後は以上述べてきたように、小型化、高性能化されたセンサ素子の上にハイパースペクトルフィルタアレイを搭載することによって、厳しいコストとサイズの要件をクリアし、ベンチトップ型からハンディ型、さらにはスマートフォンやスマートウォッチへの搭載も現実化しつつある。次項では、このハイパースペクトルフィルタアレイの応用について紹介する。
次回に続く-
参考文献
- 米本和也 著 『改訂CCD/CMOSイメージセンサの基礎と応用』 2018年 CQ出版社
- https://www.viavisolutions.com/en-us/osp/solutions/spectral-sensing#tabs-custom-optical-filters
- 特許公報 第6244103号
- 特許公報 第6458118号
- 特許公報 第6812238号
- スチーブ・サックス著 『Laser Focus World Japan 』 2017年9月号p.16-17
- H. Angus Macleod著 『MACLEOD:光学薄膜原論』 2013年 アドコム・メディア(株)
- 公開特許公報 2020-21052
- 小檜山光信 著 『光学薄膜の基礎理論(増補改訂版)』 2019年 オプトロニクス社
- S. M. Sze著 『VLSI TECHNOLOGY』 1983年 McGraw-Hill Book Co.
- 特許公報 第6509258号
- 特許公報 第6847996号
- 小森谷健二 他 著 『生体医工学』 2013年51巻2号p.135-141
- 梅澤雅和 他 著 『ぶんせき』 2020年11月号p.420-425
- https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/06403/
- https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01537/00279/
- Jian Xu, et al., J. Mater. Chem. C, 2016,4,11096-11103
【著者紹介】
仲井 淳一(なかい じゅんいち)
丸善インテック株式会社 技術顧問
■著者略歴
1981年 京都大学大学院理学研究科 修士課程修了
同年 シャープ株式会社入社
技術本部中央研究所にて固体撮像素子の研究開発プロジェクトチームに参画
2003年 シャープ株式会社センサー事業部開発部長
2016年 シャープ株式会社定年退職
2017年 丸善インテック株式会社 技術顧問、現在に至る。