光ポンピング原子磁気センサと次世代の脳機能計測(1)

京都大学
大学院工学研究科
小林 哲生

1.  はじめに

近年、ヒトの高次脳機能のメカニズムを解明し、さらに神経・精神疾患の克服や新たな産業の創出に結びつけることを目指す脳研究のビッグプロジェクトが主要先進国で相次いで始められ、その動きは世界各国に広がっている。この背景には、アルツハイマー病などの認知症に代表される神経・精神疾患患者が今後益々増加することが予想され、疾患の早期発見などにより医療費を抑えたいという財政上の事情に加え、非侵襲的な脳機能計測法が急速な進展を遂げたことがある。
筆者は、2006年に、光ポンピング原子磁気センサ(Optically pumped atomic magnetometer: OPM)1,2)と呼ばれる超高感度な磁気センサの開発を産学連携研究により開始し、現在このセンサをコアとした次世代の脳機能計測システムの実現を目指して研究・開発を進めている。

OPMは、光ポンピング法により生成したアルカリ金属原子のスピン偏極を用いて極微弱な磁場の計測を可能とする光学的磁気センサである。この光ポンピングをアルカリ金属原子に対して行い磁気センサとして用いる原理は、1957年に報告されていたが感度が低く3,4)、その用途は限られ極微弱な磁場を検出する必要のある生体磁気計測、中でも脳磁図(MEG)には使用できないものと考えられていた。しかし、2000年代に入り超伝導量子干渉素子(SQUID)と同レベル以上の超高感度が達成できることが報告(5,6)され、その後盛んに研究•開発が行われてきた。

2.  光ポンピング原子磁気センサの計測原理

円偏光は回転方向により光子の持つ角運動量が異なりσ+偏光が+1、σ-偏光が-1である。アルカリ金属原子が円偏光を吸収した場合、角運動量保存則により基底状態(S1/2)の-1/2にあった電子のみが励起状態(P1/2)の+1/2へD1遷移によって励起することなる。一方、励起状態から基底状態に脱励起する場合は自然放出過程で±1/2のどちらの準位にも戻り得る。この過程を繰り返すことで基底状態の+1/2の電子の占拠数が-1/2の占拠数よりも多くなることでスピン偏極が生じる。これが光ポンピングであり、フランスのKastlerが1950年に提案した。OPMの感度にはスピンの緩和時間の長さが関わっており、緩和時間が長いほど感度が高くなる。このスピン緩和時間を決める一因としてスピン交換衝突があるが、スピン交換衝突に伴う緩和が実効的になくなるような(SERF)条件を満たせばセンサの感度が10-16 T/Hz1/2オーダまで到達可能であることが2002年に実験的に示された(5)

このSERF条件は、密度行列式を解くことにより理論的に示されたもので、一つには光ポンピングされる原子密度が極めて高いという条件、もう一つがゼロ磁場に近い(実際には数nT以下程度で良い)の静磁場環境において動作させるという条件である。そのため、図1に示すようなアルカリ金属原子(K、Rb、Csなど)が封入されたガラスセルは地磁気をキャンセルするための磁気シールド内に配置し、さらに残留磁場を相殺してゼロ磁場に近づけるためのコイルシステムを周りに配置する。なお、感度を制限する要因の一つであるスピン偏極の緩和時間を長くするためセル壁面とアルカリ金属原子の衝突までの時間を長くする目的でセルにはバッファーガス(HeやNなど)が一緒に封入されている。図1では、一辺3cmの立方体型のガラスセルを例として示したが、サイズは数mm〜数cm、形状も立方体、直方体、円筒型など用途に応じて変えられる。

図1 OPMガラスセル(左)、気化したアルカリ金属原子(中)とスピン偏極生成のイメージ図(右)。

現在OPMには、様々なタイプのものが提案されている。その中で最も感度の高い計測が可能なポンプ用レーザ、プローブ用レーザの2つを直交させた配置であるポンプ-プローブ型OPM(図2)である。従って、SERF条件を満たすポンプ-プローブ型が最も高感度のOPMである。なお、その他の方式としてレーザ光の吸収特性の変化と磁場変調を利用する一軸型、ポンプ光とプローブ光を同一方向から照射する二色型などがある。

図2 ポンプ-プローブ型OPMの原理

我々は、このSERF条件を満たすポンプ-プローブ型OPMの開発から開始し、さらにKとRbの2種類のアルカリ金属原子を一つのガラスセルに封入した、センサ特性の高い空間均一性を有し、かつ高感度のハイブリッド型OPMの開発と生体磁気計測分野への応用を世界に先駆けて行ってきた。本稿では、基本となるポンプ-プローブ型OPMについてその計測原理を説明する。
ポンプ-プローブ型OPM(以下、OPMと記す)では、まず図1に示すようなガラスのセルに封入された気体の状態にあるアルカリ金属原子に、そのD1遷移共鳴波長に調整したσ+偏光のポンプ光をz 軸方向から照射すると、アルカリ金属電子が光ポンピングされスピン偏極Sが生じる。さらに、y軸方向に計測対象磁場Bを印加すると、スピン偏極Sがトルクを受けz-x平面上で歳差運動することによりx軸方向成分が生じる。この状態で、プローブ原子のD1遷移共鳴波長から少し離調した直線偏光のプローブ光をx軸方向からと、磁気光学回転によりプローブ光の偏光面が回転する。この回転角θが十分小さいときスピン偏極Sのx 軸方向成分に比例しているため、偏光ビームスプリッタと2つのフォトディテクタ、差動増幅器からなるポラリメータ型のプローブ光検出器により回転角θを検出することで、y軸方向に印加された磁場Bを間接的に計測することができる。
なお、印加磁場Bと回転角θとの関係はセル内部の温度やポンプレーザ強度、プローブレーザ波長、アルカリ金属原子の種類などの計測条件によって変化する。数十pT以下の磁場においては印加磁場Bと回転角θは比例しているとみなせ、プローブ原子がK原子の場合では、1fTの磁場に対する回転角は約0.4μradである。また、z軸方向にバイアス磁場を印加しスピン偏極を歳差運動させることで、共鳴周波数を中心とした計測感度をセンサに与えることができる。
OPMは、測定体積が小さくても高い感度を保つことが期待でき、多チャンネル化により高い空間分解能を持った磁場計測が可能になる。理論的に10-17T /Hz1/2オーダの感度が期待できる(6)

3.  K-RbハイブリッドOPMによる多チャネルMEG計測

OPMによる脳機能計測、中でもMEG計測においては多チャネル化が必要であり、その実現には2つの異なるアプローチが考えられる。一つはガラスセル、光ファイバ、光学系、ヒーター、断熱材などが一体となった小型のOPMモジュールを開発し、それを1チャネルとしてそれをアレイ化する方法、他は、大きなガラスセル内に複数のビーム交差部を作り、各交差部を1チャネルとして複数点同時計測を図る2つの方法である。我々は、両方のアプローチにより研究・開発を進めてきた。本稿では、後者の大きなガラスセル内に設けた複数計測点における同時計測の例7)を紹介する。
本方法では、ポンプ-プローブ型のOPMに複数本のプローブ光を入射させ、複数チャネルを有する検出器で受けることにより多チャネルを構成する。このとき、通常のOPMでは、ポンプ光の減衰により、セル内でセンサ特性の分布が生じてしまうため、センサセルにKとRbの2種類のアルカリ金属原子を封入したハイブリッドセルを用いてセンサセル内での特性の均一化を図った。このハイブリッド型OPM7)では、まず原子密度の低いRb原子を光ポンピングし、スピン交換衝突によりK原子をポンピングした後、K原子に直線偏光のプローブ光を照射することにより磁場を計測する。
用いたガラスセルの内寸は5×5×5cm3であり、内部にはKとRbのほかにバッファガスとしてHeとN2を10:1の比で常温にて150kPaとなるように封入した。このセンサセルを180℃に昇温すると、KとRbの密度はそれぞれ1.6×1019m−3、1.0×1018m−3となった。ガラスセル内に複数のチャネルを生成するため、1列あたり10チャネルのフォトダイオード(3×3mm2)を2列配置したものを2枚用意し、偏光ビームスプリッタ(Polarizing Beam Splitter: PBS)によりそれぞれがS偏光とP偏光を受光するようにした。このとき、1列のフォトダイオード間の間隔は1mmであり、センサ密度は2.5個/cmである。図3は、ハイブリッドOPMを用いた実験系の概略である8)。MEG計測は、10Hzにおけるシールドファクタが104の3層磁気シールドボックス内で行なった。

図3 (a) 実験系の模式図。(b)ループコイルから発生する磁場分布の計算結果と(c)計測された磁場分布8)

ヒトのMEG計測に先立ち、図3の中央に設置したハイブリッドセルの上方60mmに固定した直径10mmのループコイルに0。4mA、10Hzの正弦波を印加し、発生する磁場分布を計測した。各チャネルの感度は10Hzにおいてチャネル単体で10-20fT/Hz1/2であった。図4に、ループコイルから発生する磁場分布の計算結果と4mm間隔で配置されたポラリメータ型プローブ光検出器によって100(10×10)点で計測された磁場分布を示す。ループコイル位置をマニュアルで変化させた際の位置ずれなどが原因でx軸方向については歪みが見られるものの、4mm間隔という高密度で磁場分布が計測できることが実証できた。

図4 α波のERD信号および全チャネルのERD信号の平均9)

続いて、上述したハイブリッド型OPMを用いてMEG多点同時計測を試みた9)。被験者は、磁気シールドボックス内に設置した木製のベッドに仰向けで横たわり、眼前に配置したスクリーンは常時点灯させた。被験者は24歳の健常男性であり、4sごとに鳴るビープ音で開眼・閉眼を繰り返し、視覚野におけるα波の事象関連脱同期(ERD)を被験者の視覚野近傍に配置したOPMで観測した。
データ取得は、被験者の後頭部から60mmの距離にある10チャネルを用いた。得られた信号は8~13Hzの帯域通過フィルタをかけた後、分散を計算し、50回加算平均をした。
MEG計測の結果を図4に示す8)。全10チャネルのうち、3チャネルはノイズの影響が大きかったため、7チャネルの結果及び全チャネルの平均を図示する。計測できた全てのチャネルにおいて、開眼時にα波が30%以上減衰していることが観測された。

次回に続く-

参考資料

(1)D. Budker and M. Romalis, “Optical magnetometry”, Nature Physics, Vol.3, pp. 227-234 (2007)

(2)D. Budker D et al. Edt., “Optical magnetometry”, Cambridge Univ. Press. (2013)

(3)H. Dehmelt, Phys. Rev. 105, 1924–1925 (1957)

(4)W. Bell and A. Bloom, Phys. Rev. 107, pp.1559–1565 (1957)

(5)J.C. Allred, et al., Physical Review Letters, Vol.89, No.13, 130801 (2002)

(6)I.K. Kominis, et al., Nature, Vol.422, pp.596-599 (2003)

(7)Y. Ito, T. Kobayashi, et al., AIP advances, Vol.2, 032127 (2012)

(8)K. Nishi, Y. Ito and T. Kobayashi, Optics Express, Vol.26, No.2, pp.1988-1996 (2018)

(9)伊藤,西,小林, 日本生体磁気学会誌,Vol.31, No.1, pp.178-179 (2018)



【著者紹介】
小林 哲生(こばやし てつお)
京都大学大学院工学研究科
電気工学専攻 生体医工学講座 教授

■略歴
1984年 北海道大学大学院工学研究科 電子工学専攻 博士後期課程修了(工学博士)
1984年〜1992年 北海道科学大学講師・助教授
1987年〜1992年 University of Rochester, USA, Visiting Scholar
1992年〜2004年 北海道大学電子科学研究所講師・助教授
1996年〜1997年 Simon Fraser University, Canada, Visiting Associate Professor
2004年3月より現職

専門分野は、脳計測科学、電気電子工学、認知神経科学、ニューロイメージングなど。現在、国際複合医工学会副理事長,国際磁気共鳴医学会日本支部 (ISMRM-JPC) Past-Chair, 国際脳電磁図トポググラフィ学会 (ISBET) 理事,日本生体磁気学会理事・監事・第36回大会長、International Journal of Magnetic Particle ImagingのEditorなどを務めている。医用生体工学分野の国際賞James Zimmerman Prize (IFMBE, 2018年)などを受賞。