磁気を用いた屋内測位(1)

奈良先端科学技術大学院大学
総合情報基盤センター
准教授 新井 イスマイル

1.はじめに

屋内測位は未だに屋外で利用されるGNSSほどの共通解がなく、手法が多岐に渡って研究開発されている。その中でも無線LAN、Bluetoothといった電波を用いたものが特に盛んに研究開発され実用化されているが、ビーコンが複数観測できない場合は測位誤差が大きくなったり、機器の設置コストが無視できなかったりと課題が残る。スマートフォンにはまだ他にも加速度、地磁気、ジャイロ、気圧、照度センサ、カメラやマイク、セルラー通信、NFC等活用可能性のあるセンサ・インタフェースがたくさん搭載されているため、それらの活用が望まれる。
本稿ではその中でも特に磁気センサを取り上げる。本来、磁気センサは地磁気を感知して方位を知るためにスマートフォン等に搭載されている。地図アプリ利用時は測位軌跡やジャイロセンサの併用もあったりして磁気センサ単体の問題に気づきにくいが、磁気センサ値のみを用いたコンパスアプリを利用した場合に問題に気が付く。特に鉄筋コンクリートや鉄骨でできている建物内や地下街で移動していると真っ直ぐ歩いていても値が変化することがあるので是非試して欲しい。これは主に周辺金属の残留磁気が影響している。この変化が空間内でバラつくと、位置特定の手掛かりになるのが磁気を用いた測位の基本的なアイディアである。筆者の確認した限りでは1981年には屋内での磁気の特徴がナビゲーションに役立つかもしれないと示唆している研究者がいた。[1]
磁気測位の最大のメリットは磁気センサだけで満足な測位精度が得られた時は、インフラ構築コストが必要ないことにある。実際には磁気センサだけで満足な測位精度が得られるような例は稀で、あくまで他の手法との組み合わせが現実的だが、少なくとも磁気測位を追加するために発生するインフラ構築コストはない。
本稿では磁気測位の実際の性能や可能性について原理から最新研究トピックまで紹介し、読者の磁気応用の発想を刺激したい。以降、2章にて磁気測位の原理、3章にて磁気測位の研究動向を紹介し、4章で本稿をまとめる。

2.磁気測位の原理

屋内環境で磁気がどれだけ位置によって変化するかを確認してみよう。図 1は図 2の廊下(鉄筋コンクリート造の建物2F)で観測した磁気センサ値を端末座標系におけるXYZ軸でそれぞれプロットしたものである。廊下の横幅は2m、計測区間長は20mである。1m間隔で30秒程度停留している。停留時は同じような値を示して、次の停留地点までの移動時に大きく値が変化するため階段状の線が描かれている。スマートフォンは台車に腰の高さくらいまで段ボール箱を積んだ上に載せていて、端末座標系のY軸が北を向いていてZ軸が天井を向いている状態で、北向きにだけ移動した。方位が変わらない移動なので地磁気以外の磁気がなければ移動時にセンサ値が変動しないはずだが、実際は移動のたびに変動したので、位置によって磁気が異なることが分かる。

図1 筆者の研究室前廊下20mでの観測磁気

図2 廊下の外観

屋内空間に存在する磁気の種類は主に3種類ある。地磁気、残留磁気、電磁気である。地磁気は地球そのものが大きな磁石である性質により発生する磁場で、方位を知る手がかりとして活用されている。しかし、屋内では残留磁気と電磁気の影響があり誤差要因となる。残留磁気は磁性体に磁界を与えるとその物体の保磁力に応じて残り続ける磁気である。建物には鉄筋や鉄骨、金属フレーム等、保磁力の高い大きな鉄が無数にあるため、これらの影響で磁気センサによる方位推定がうまくいかない場合が出てくる。大きなモータや発電機に含まれる強力な永久磁石の回転等も誤差要因である。電磁気は、アンペールの法則(右手の法則)の通り、導線に大電流が流れた時や、電磁石が作用した時の短期的な磁界の変化を指している。例えば、駅では電車の発着の度に大電流が発生している箇所から数m離れても磁気変化が確認できる。図 1に示したセンサ値の変化は残留磁気によるものが主と考えられる。図 2に示す廊下の左側には両開きの鉄製のドアが2つあり、右側には両開きが1つ、片開きのドアが3つあり、また右側の壁の数カ所には鉄筋の柱が入っており、それぞれがセンサ値に影響していると考えられる。

残留磁気による磁場の局所性をうまく活用できれば磁気測位が可能となる。最も単純な手法はフィンガープリンティング(以下、FPと省略)である。あらかじめセンサデータを位置(リファレンスポイントと呼ぶ)と共に記録して磁気マップを作成しておき、測位時に得たセンサデータと比較して最も近しいセンサデータを持つリファレンスポイント、あるいは上位のリファレンスポイントの重心を測位結果とする。センサデータは図 1のように端末の座標系において3次元で取得できるが、実際には磁気マップを作成した際の姿勢と一致しなければならない。グローバル座標系(地表に平行な面をXY軸、鉛直方向をZ軸とした座標系)に統一したいところだが、測位時は端末姿勢が自由なため姿勢推定が必要になる。姿勢推定は一般的に加速度センサと磁気センサを用いて重力加速度と地磁気を検知し回転行列を導出するが、磁気センサがこれまで述べた通り地磁気以外の磁気の影響を受けるため屋内では姿勢推定が困難となる。そこで加速度センサ値のみを用いて重力ベクトルを推定してグローバル座標系における鉛直成分と水平成分の2次元ベクトルを構成すると良い。図 1で示したセンサデータを鉛直成分と水平成分で表現した例を図 3に示す。測定時は端末が台車に載せられていて常に上を向いていたため鉛直成分にZ軸の値をそのまま使って、水平成分はX軸とY軸の合成ベクトルのスカラ値を用いているが、自由姿勢の場合は前述のような重力ベクトル推定に基づく手法を用いる。

図3 磁気の鉛直成分と水平成分

FPは無線LANやBluetoothの電波観測情報を基にした屋内側位でも活用されている手法である。最も単純な方法はBSSIDやMACアドレスといった電波の発信源の数だけ受信電波強度を値とする多次元ベクトルを構成してFPするものである。電波は発信源からの距離が遠ざかるにつれ受信電波強度が低下する特性があるため、似たようなセンサ値が地理的に近いところに集まりやすく、測位誤差がそれほど大きくならないが、磁気FPでは特徴的な磁界を発生するものが特定できず、磁束密度の値だけで類似パターンを見出さなければならないため、似たフィンガープリントが空間的に広く分散する可能性がある。

次回に続く-

参考文献

1) R. Baker, “Human Navigation and the Sixth Sense,” Simon and Schuster, New York, 1981.

【著者紹介】
新井 イスマイル(あらい いすまいる)
奈良先端科学技術大学院大学 総合情報基盤センター 准教授 博士(工学)

■略歴
2008年3月 奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科 博士後期課程修了
2008年4月 立命館大学 総合理工学研究機構 ポストドクトラルフェロー
2011年4月 明石工業高等専門学校 電気情報工学科 助教
2013年4月 同講師
2015年4月 同准教授
2016年4月 奈良先端科学技術大学院大学 総合情報基盤センター 准教授 現在に至る