6 レーダーVSM測定実験(機械振動)
以下では、実際に開発したレーダーVSMを使用した実験の結果を述べる。
ヒトの体表に発生する振動は振幅などを制御することは不可能である。そこで、先ずは実際に開発したレーダーVSMの実力値を見るために、アクチュエータを使った実験を実施した。レーダーVSM機器は、アナログ・デバイセズ社とサクラテック社で共同開発したmiRadar8
実験では、アクチュエータに設置したコーナーリフレクタを機械振動させ、それをレーダーVSMで測定している。(図8)
実験によって得られた位相変化量(先に説明したように位相変化∝速度)を図9に示す。24GHz(波長12.5mm)の場合、波長を超えた振幅は位相が365度(一回転)を超えるため、データの連続性が失われるが、それ以下であれば位相が振幅によって決まった範囲内で振動していることが分かる。さらに、FFTで周波数応答を見た場合でも、心拍振動で要求される約±0.5mmの振動検知能力は充分に得られていることが分かる。図10で分かるように、振幅が±0.04mm以下ではSNも悪化しており、ピーク検知は難しくなるのが分かる。
7 レーダーVSM測定実験(ヒト)
次に、ヒトを測定した場合のデータを示す。(1.2m先の成人男性を約3分間測定)
図11を見ると分かるように、ヒトの場合は先述の機械振動と異なり、FFT後の周波数ピークが分かりづらくなっていることが明らかである。これはヒトの呼吸および心拍由来の振動が機械と異なり、単純な正弦波振動ではないため、高調波が生まれていることが原因である。特に、心拍はECGによる心電図でも分かるように、パルス波で広い周波数成分を含んでいるため、単純な周波数解析で検出することが困難である。さらに、呼吸は振幅に比較して大きな振幅を持ち、大きな高調波を発生する。この高調波が心拍周波数と重なる場合、心拍の検出がより難しくなる。例えば、呼吸の周波数0.3Hz、心拍が1Hzの場合、呼吸の約3倍高調波が心拍と重なる可能性がある。
以上は、フィルター処理等を行わない、位相生データで議論をしてきたが、レーダーVSMの商用化の場合は、これに対して帯域フィルターや平均化処理などの、フィルター処理を行うことで、安定したバイタルデータを得るようにしている。サクラテック社の製品でも同様の信号処理が行われている。これらのフィルター処理を行った結果を、リファレンスで使用したECGとのデータ(測定者が安静時)と比較を図12に示す。ここでのデータの乖離は、タイムドメインで見て5%程度の結果が得られている。
8 レーダーVSMの発展に向けて
サクラテック社の製品を含め、いくつかのレーダーVSM製品の商用化が始まっているが、まだ黎明期の技術でもあることから、今日もバイタル検知アルゴリズムに関する学術論文が多く提出されており、特に最近は深層学習(ディープラーニング)などを利用したアルゴリズムにおけるイノベーションが産まれつつある分野である(4)。また、レーダーVSMは従来のセンサと異なり、呼吸と心拍を同時に非接触で測定可能なため、より高度なデータ取得が期待されている。
その中のひとつ、HRV(心拍変動値)は、ストレス値と相関があるため、特に強いニーズがある。HRV測定には、タイムドメインで正しいR波(ECGにおける一番高いピーク波)を測定することで、高精度なRRI(二つのR波のインターバル)が得られ、その結果HRV解析が可能になる。一般的にECGではHRV解析のために、数100Hzのサンプル速度が求められる (5)。
レーダーVSMを考えた場合、バイタル算出までに多くの信号処理が必要になるため、レーダーVSMのバイタルのサンプル速度は、ハードウェアの速度ではなく、ソフトウェアの信号処理速度に依存している。例えば、今回の実験で使用したmiRadar8
また、信号処理アルゴリズムでも、FFT周波数解析だけでなく、ECGで使われるようなタイムドメインでのピーク検知アルゴリズム解析なども検討が必要となる。
レーダーVSMは、位相情報を利用したバイタルセンシングであると説明した。この位相情報は、365度以内の位相変化について、データの連続性が担保された正しい情報が得られることに注意が必要である。これは波長に依存しており、波長を超えた変位は位相が回転してデータの連続性を失う(ここでは位相回転問題と呼ぶ)。特にミリ波レーダーの場合、波長が短くなるために注意が必要である。例えば、レーダーVSMでも使われる60GHzレーダーでは、その波長が5mm程度なので、静止しているヒトの呼吸動作でも位相回転問題が煩雑に発生する可能性がある。このようなデータを連続値と見なして扱うことは、非連続ポイントをピークとして誤検知することや、FFT解析における高周波/広帯域ノイズとなるため、特に注意が必要である。図13に位相情報の生データを示しているが、±90°を超えたポイントで位相が大きく変動しているのが分かると思う。
9 結論
これまでレーダーVSMの原理と実機での実験データについて説明してきた。実際にアナログ・デバイセズの24GHzレーダーチップセットを利用したサクラテック社のmiRadarによるレーダーVSM実験とそのデータ考察を行い、最後に今後の発展に向けた提言について言及する。
ポイント:
・ レーダーの位相情報を信号処理することで、バイタルセンシングで要求される1mmより微小な振動が検知可能
・ MIMOレーダー方式を使うことで、FOV内の外乱ノイズ除去や複数人の測定が可能
・ 呼吸と心拍の検知では、呼吸の高調波信号の影響が無視できないため、高度な信号処理が必要
・ レーダーVSMのデータ固有の特徴に適した信号処理アルゴリズムを検討することで、さらなる発展を期待
レーダーVSMは、原理は古く、実用化においては新しい技術である。ハードウェア面では、レーダー用の高集積化された半導体製品が容易に利用可能となった。近年はバイタル検知における信号処理アルゴリズムソフトウェアの研究が増えており、イノベーションが生まれることを期待される分野である。特に、測定対象者に負担を課さずに、非接触で心拍と呼吸を同時に長期間モニタリングできることから、普及に向けた動きが加速することを期待している。
参考文献
4 Person-Specific Heart Rate Estimation With Ultra-Wideband Radar Using Convolutional Neural Networks, Shuqiong Wu et. Al., IEEE Access, November 2019
5 Is 50 Hz high enough ECG sampling frequency for accurate HRV analysis?, Shadi Mahdiani, 37th Annual International Conference of the IEEE Engineering in Medicine and Biology Society (EMBC), August 2015
【著者紹介】
高松 創(たかまつ はじめ)
アナログ・デバイセズ株式会社 リージョナルマーケティング
■略歴
1994年 東京工業大学 総合理工学研究科 システム科学専攻 修士課程修了
1994~2011年 半導体メーカでIC設計およびアプリケーションエンジニアとして従事
2011年より、アナログ・デバイセズ社で、プラットフォームの研究開発に従事し、現在に至る