4.異なる油相含有率のエマルションからの香気放散挙動
O/Wエマルションは前述のように、水相に油滴を分散させた系である。このとき、連続相である水相の粘度はそのエマルションの物性に大きく影響を及ぼすことは容易に想像できるが、分散相としての油滴の含有率や粘度、さらには液滴径もエマルションの物性や流動特性に大きな影響を与える。例えば、水や油はそれ単体では、多くの場合ニュートン流体としての挙動を示すが、それらがエマルションとなると、非ニュートン流体として挙動する。油相含有率や液滴径はこの非ニュートン流体としての流動特性を変化させることが知られている7)。さらに液滴径は、その大小だけでなく、粒度の均一性もエマルションの安定性に大きく影響する。このように、油相含有率や液滴径はエマルションの物性に大きく影響を及ぼすが、香気化合物の放散挙動にも影響を及ぼすと考えられる。なぜなら、油相含有率が高ければ、疎水性化合物の溶け込みが増加し、親水性化合物の溶存割合は減少するからである。そこでTamaruらは異なる油相含有率を持つO/Wエマルションからの香気化合物の放散挙動を調べている8, 9)。その結果、疎水性香気化合物の香気放散量は、O/Wエマルションの油相含有率の増加に伴い減少するのに対して、親水性香気化合物の香気放散量は、全ての油相含有率で一定の値を有することを示している。
さらに、彼らは前述の3つの分配係数と香気化合物放散挙動との相関についても論じており、香気化合物のlog Pow値と香気放散量の対数値との間にはいずれの油相含有率においても相関は認められなかったのに対して、log Pwa値およびlog Poa値は香気化合物の放散量の対数値との間に、いずれの油相含有率においても高い相関を示すことを報告している8, 9)。また、最近の研究では油滴の液滴径が小さいほど、油−水界面の界面面積が大きくなることから、香気化合物の放散速度も速くなることなども明らかにしている。このように、エマルション中の油相は香気化合物の放散挙動に大きく影響を及ぼすこと、またその放散挙動は香気化合物の疎水性よりも、各相と気相間の分配係数に依存することなどが明らかになりつつある。すなわち、log Pwa値およびlog Poaを用いることでエマルションからの香気化合物の放散挙動の予測が可能となることが示されている。
5.エマルション温度が香気放散挙動に及ぼす影響
香気化合物の放散には一般的に温度が大きな影響を与えるが、エマルションからの香気化合物の放散挙動にもエマルション温度は影響を与える。実際に異なる温度(15℃、25℃、36℃)に保持したエマルションからの香気化合物の放散量を調べたところ、エマルション温度の増加に伴い、いずれの香気化合物においてもその放散量は直線的に増加する傾向が認められた(図4)。すなわち、エマルションからの香気化合物放散量にも温度依存性があることが改めて示された。また、放散量が直線的に増加していたことから、15℃、25℃、36℃における香気化合物の放散量とlog Pow値、log Pwa値、log Poa値との関係を調べたところ、やはりlog Pow値と香気放散量の間には、いずれの温度においても相関は認められなかった。しかし図5に示したように、log Pwa値およびlog Poa値と香気放散量の対数値との間にはいずれの温度においても高い相関が認められた(結果は25℃における放散量と各分配係数の関係)。
そこで、温度変化に伴う香気化合物放散量の増加率を調べたところ、その増加率は、log Pwa値およびlog Poa値と高い相関を示していた。このことは、温度変化によらずlog Pwa値およびlog Poa値を用いることで、O/Wエマルションからの香気放出量を予測できる可能性を示している。しかし、現在確認している香気化合物の種類はまだ少なく、今後さらに香気化合物の種類を増やし、エマルション温度の変化が香気化合物放散量に及ぼす影響を解析する必要があると思われる。
6.おわりに
エマルションの性質を左右する物性値がエマルションマトリックスからの香気化合物の放散挙動に及ぼす影響と、その放散挙動と香気化合物の油−水および気−液間における分配係数との関係について述べてきた。ここでは、香気化合物のエマルションからの放散量は、各香気化合物の気−液間分配係数と高い相関を示し、その放散挙動を香気化合物の分配係数から予測可能となることを示している。しかしエマルションは、今回のような単純な油と水(界面活性剤を含んではいるが)のみで構成されているというわけでは無い。実際の製品では、タンパク質や炭水化物さらにはミネラルやビタミンなど多様な微量成分のような、非常に多くの成分によってエマルションマトリックスは構成されている。香気化合物の放散挙動をより正確に把握するためには、マトリックス構成成分がどのような影響を及ぼすのか、さらにはエマルション自身のレオロジー的性質が香気化合物の放散挙動にどのような影響を及ぼすのかについても論じる必要がある。今後、益々の研究の発展が期待される。
参考文献
7) 鈴木寛一, New Food Industry, 38, 49-57 (1996)
8) S. Tamaru, et.al., Food Chemistry, 239, 712-717 (2018)
9) S. Tamaru, et.al., Food Research International, 116, 883-887 (2019)
【著者略歴】
井倉 則之(いぐら のりゆき)
九州大学大学院農学研究院 教授 農学博士
九州大学五感応用デバイス研究開発センター協力教員
九州大学生物環境利用推進センター複担教員
■略歴
平成5年3月 九州大学大学院修士課程修了
平成5年10月 九州大学農学部助手
平成16年11月 九州大学助教授(平成20年に同大学院准教授)
令和元年10月 九州大学大学院農学研究院教授
■受賞
平成30年11月 Best Papers Award of ICNFE 2018
平成31年2月 Food Science and Technology Research Award Vol.24
これまで、食品の美味しさに関わる研究(非加熱殺菌、食品物性、香り)を続けてきている。