1. はじめに
俗に人間の五感といえば、一般的には目、耳、鼻、口、皮膚を介して感じる感覚、いわゆる視・聴・匂・味・触感覚である。
このなかで視・聴・匂・味感覚は身体上の特定部位で電磁波や空気圧、化学物質を検知する極めて特殊な感覚機能であり、筆者が大学でおこなうバーチャルリアリティの講義では、図1に示すように、この四つの感覚に加速度や回転速度を検知する平衡感覚を加えて五つの感覚を特殊感覚と分類する。そして、皮膚触覚、さらに腕や足の関節の角度から感じられる手足の位置姿勢や関節・骨格に作用する外力を感じる身体感覚、さらには、内臓の痛みや空腹などの内臓感覚をまとめて、一般感覚、あるいは、体性感覚と区別する。バーチャルリアリティでは、この体性感覚と特殊感覚の中の平衡感覚に関する感覚情報を用いたシステムを、Haptic(ハプティック)システムとよび、IEEE Haptics SymposiumやWorld Hapticsなどの規模の大きな国際会議やジャーナルを擁する一つの研究分野として確立している。
視聴感覚はその感覚受容器である目や耳の構造と機能の解明が進み、CCD素子やマイクとして人工感覚が再現されている。一方で、本稿で対象とする触覚は、皮膚表面に存在する機械的刺激受容器が発見され生理学的にその機能も解明されているが、人間の触覚機能を十分に模擬できる触覚センサの開発が未解決であり、必然的に、硬さ、粗さ、粘り、等の複雑な”感触”、いわゆる”触り心地”という高度な触認識機能の解明や産業応用にはいまだ十分には至っていない。本稿では触覚技術の実用化を目指して開発が進むMEMS触覚センサの開発について紹介しその可能性を示す。
2. ヒトの触覚の仕組みとその再現
人間の皮膚表面の断面の模式図を図2に示す。
皮膚には接触による機械的な刺激を検知する触覚受容器として、皮膚直下に分布するメルケル触覚盤とマイスナー小体、さらには、比較的深部に位置するルフィニ小体、パチニ小体、さらにこれに加えて、体毛の基部で体毛の動きを検知する毛胞受容体、さらには、痛覚や温覚にかかわる自由神経などがセンサであると言われている。
四つの機械受容器は特に応答する機械刺激と時間的な応答によって、それぞれが特徴的に反応する。いわば、これらが眼球の網膜における桿体や錐体などの光に応答する受容器に相当し、視覚における眼球に入射する光が最終的に映像として認識されるしくみと同様の処理が触覚でも成されていると考える。つまり、複数の機械受容器から得られる信号によって、豊かな触感覚や器用な物体操作の礎となる触覚が生成されるヒトの触覚モデルが構築される可能性が高い。生理学的見地からこれらの機械受容器がヒトの触覚において極めて重要な役割を果たしていることは揺るぎない。
しかしこのモデルは、極細い毛先で皮膚に触れて、単独の感覚受容器だけを微細に刺激した結果として、ぎりぎりで生じる触知覚の閾値での応答から構築された、極めて感覚原子論的なモデルといえる。要素分解された原子論的モデルは工学的には論理的である、つまり触覚センサの研究の応用として、先に述べた人間の持つ豊かな感触の中でも特定の機械的特性、例えば”表面粗さ”のみを計測するセンサを実現するならば、これらの感覚モデルに基づいて、その特性のみを計測するセンサの開発に繋げることはさほど困難ではない。
しかし、日常で我々がモノに触れるときには、広い接触面により大きな機械的刺激が作用しており、単独の感覚器をわずかに刺激する”閾値”よりも遙かに大きな”閾上”と呼ばれる状況にある。さらに、人間の触覚とは、機械的な皮膚の振動の知覚の組み合わせから、触れた対象物の”触り心地”として認知される極めて豊で広範囲な感覚であり、その仕組みは未だ十分に解明されていない。その一つの理由は、先に述べたように、人工的な触覚センサが、その計測能力やそのサイズ、実装密度の面で人間の触覚受容器を充分に模擬できていないためである。
以降では、このような背景において、ヒトを越えるための触覚を再現することを目指し、開発を進めているMEMS触覚センサ技術と、この触覚センサモジュールを神経ネットワーク構造に接続し、深層学習のアプローチを用いて人間のような感覚機能を実現する研究について述べる。
次週に続く-
謝辞
本稿のMEMSに関する図面は共同研究者である新潟大学寒川雅之准教授から提供を受けた。
【著者略歴】
野間 春生(のま はるお)
立命館大学 情報理工学部 情報理工学科 実世界情報コース
メディアエクスペリエンスデザイン研究室
1994年3月 筑波大学大学院 博士課程 工学研究科構造工学専攻修了 博士(工学)取得
1994年4月 株式会社国際電気通信基礎技術研究所 入社
2012年12月 株式会社国際電気通信基礎技術研究所 退社
2013年1―3月 Worcester Polytechnic Institute 客員研究員
2013年4月 立命館大学 情報理工学部 教授
学会役職
日本バーチャルリアリティ学会 理事(2019年−)
専門分野・研究テーマ
バーチャルリアリティ、触覚インタフェース、ウェアラブル&ユビキタスインタフェース