4.スポーツセンシングデバイス5原則
トレーニング中はもとより、試合中であってもルールが改変されて今後はスポーツ選手の心拍数や動作、さらには移動軌跡を含めてあらゆる観測データが手に入るようになるであろう。そのとき、実験室を飛び出して毎日のトレーニング、あるいは実際の試合会場での観測を可能にする、すなわち「ありのまま」の選手の振る舞いを観測するためには、いくつかの条件が求められる。これを「スポーツセンシングデバイス5原則」と呼びたい。
(1) 安全であること
(2) 競技パフォーマンスに支障をきたさないこと
(3) 公平であること
(4) 再現性があること
(5) データに後方互換性があること
ウェアラブルデバイスを含めて選手が身にまとうものは全て安全でなければならないことは言うまでもない。ところが、ウェアラブルデバイスはほぼ確実に電池を内蔵している。現状はそれもリチウムイオン電池やリチウムポリマー電池が主流である。それをケースに収めることで安全性を担保しているが、医学用途で用いられているような安全基準があるかと問われれば、現状は無いに等しく、機器の性格上AppleやSamsungなどを含めた大手企業は発売するウェアラブルウォッチの同等品は、その後すぐ模倣品として市場に出回っているのが現状である。その安全性について現在は不透明と言っても良い。
身に着けることで、位置情報がGNSSによって精密に観測できるデバイスも出てきているが、2018年のサッカーW杯ではルール上それが許されていたものの、およそどの国も装着はしていなかった。未だ、重量や装着感などを含めて選手のパフォーマンスに支障があるという判断では無いかと筆者は推察している。解決するためには、さらなる「小型化」、「省電力化」が必須であることは言うまでもない。カメラを駆使するHawkEyeに代表される審判を補助するセンシングにおいては、公平さが絶対条件である。
そのためにはカメラの配置によって競技場内の場所によってセンシング精度が異なることは許されない。同様に、磁場の変化を使うゴールラインテクノロジーにおいても同様で一方のゴールでは判定が甘い、といった不公平は選手のみならず、観客に対しても許されない行為となる。従って、本来はこうした観測精度が公開されるべきである。次に挙げた再現性を担保するのは実は非常に難しい。慣性センサを用いたウェアラブルデバイスでは、ヒトの動きを観測していると思われがちだが、それは間違いである。ウェアラブルデバイスに内蔵されたセンサが「ウェアラブルデバイス」の動きを観測しているだけである。
従って、腕時計型のデバイスを含めて装着具合によって振動周期が大きく異なるような場合、再現性が著しく悪くなる。このことは多くの利用者が全く考慮しておらず、装着具合を一定にする工夫に欠けていると言わざるを得ない。データに後方互換性があることは、今後ウェアラブルデバイスがより普及して、スポーツのみならずヘルスサイエンス分野や産業医学分野などでのモニタリングに普及する鍵となるであろうと考えている。
自社サービスへの囲い込みではなく、より門戸を広げたオープンな環境が望まれる。現在では心拍数といえば数拍分をカウントして時間平均をとり記録するような方式が主流であるため、原データはすでに失われている。自律神経の動態を観測するためにはRR間隔と呼ばれる1拍ごとの時間が必要であるし、慣性センサによる姿勢推定が期待通りであるのかを別アルゴリズムで検証するには9軸センサの原データがやはり必要である。メモリ空間が広大となり、またデータ通信が5Gへと移行してローカルなデバイス上のメモリを気にしなくなる時代がやってくるとすれば、原データを十分な時間空間精度で持つことがその後のサービスの新たな地平を拓くものと考えている。
著者紹介
氏名:仰木 裕嗣(おおぎ ゆうじ)
出生:1968年1月 福岡県北九州市生まれ
慶應義塾大学政策・メディア研究科兼環境情報学部 教授
慶應義塾大学スポーツ・ダイナミクス・インフォマティクス・ラボ代表
慶應義塾大学スポーツ・アンド・ヘルスイノベーションコンソーシアム代表
職歴
1997年4月 SPINOUT設立代表(~現在:個人事業としてのスポーツ研究支援会社)
1999年4月 慶應義塾大学環境情報学部嘱託助手
2001年4月 慶應義塾大学環境情報学部専任講師(有期)
2005年4月 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科兼環境情報学部助教授
2007年4月 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科兼環境情報学部准教授
2016年4月 慶應義塾大学政策・メディア研究科兼環境情報学部教授
2007年3月 豪Griffith University、School of Engineering、Center for Wireless Monitoring and Application、Honorary Associate Professor
専攻分野
スポーツ工学・ スポーツバイオメカニクス・生体計測・無線計測
賞罰
2002年6月 第9回国際水泳科学会議 アルキメデス賞(若手奨励賞)日本人初
2003年2月 TUM Academic Challenge Award、競技スポーツ部門賞
特許M
・コースガイド(特許出願2005-130243、特許公開 2006-304996)
・ゴーグル(特許出願2005-314855、特許公開 2007-124355)
・エネルギー消費量報知装置(特許出願2009-098373)
・スイング動作評価方法、スイング動作評価装置、スイング動作評価システム及びスイング動作評価プログラム(特許出願2008-299478、特許公開2009-50721)