わが国沿岸域における波浪観測機器技術 =海底から波を観張る海象計= (2)

(株)ソニック 三井 正雄

2.1 観測例

 2021年7月、台風8号が宮城県に上陸した。図5は、岩手県の釜石沖(水深49m)に設置された海象計によって、この時観測された有義波の時系列を示したものである。期間中の最大有義波高および有義波周期は、それぞれ2.34m、8.6秒であった。海象計ではこの水位変動と同時に、上述した通り任意水深層における斜め3方向の水粒子速度を計測している。これら複数の観測波動量を用いて波の方向スペクトル解析を行うことにより、波浪の究極情報とも言える波の方向スペクトルが高精度で推定可能となっている。
 図6は、図5と同様に台風8号が来襲した際に推定された方向スペクトルより、特徴的な形状を選択的に5例示したものである。図中、左(26日18時)から右(28日4時)に向かって時間が経過している。なお、各図の縦軸は周波数、横軸は波の来襲方向である。

図5 台風2108号来襲時に釜石沖の海象計で観測された有義波の時系列
図5 台風2108号来襲時に釜石沖の海象計で観測された有義波の時系列
図6 台風2108号来襲時における方向スペクトルの形状変化
図6 台風2108号来襲時における方向スペクトルの形状変化

 図6が示すように、当初東からの風波(周期の短い波)が卓越していた。その後徐々にピークが低周波側(図中下側)に移動し、27日の9時には周期の長いうねりが卓越していたことが確認できる。さらに時間が経過すると再度風波が発達し、28日4時には風波とうねりが混在していることがわかる。このように、方向スペクトルを確認することによって、波の発達から減衰における一連の波浪特性やエネルギー分布を把握することが可能となる。
 このような波浪の方向スペクトル推定機能は、海象計が有する代表的かつ特徴的な機能であり、これによって観測地点にどのような方向から、どのような周期でどれ位のエネルギーを持った波が来襲してきたかを詳細に知ることができるようになり、各地で波浪の特性把握に大きく貢献するようになった。

2.2 解析手法の高度化

 海象計では通常、任意の異なる3層の観測データを収集・収録しているが、機能的にはさらに多層のデータも測得可能となっている。図7はその一例として、2011年の東北地震に伴う津波を東京湾の横須賀で観測した結果であり、水位変動(上段)と共に各水深層の流速ベクトルを時系列表示させたものである。なお実際の観測は10層のデータを取得したが、ここでは選択的に水深5mから20mまで5層の結果を例示した。図7より、水深によらず一様な津波流速の鉛直構造を確認することができる。このように海象計では、海底付近から海面まで、多くの波動量を連続的に計測している。そこで、方向スペクトルの高精度化を期待して、これら多層の水粒子速度情報を利用した方向スペクトルの推定精度について検討した。

図7 東京湾で観測された津波来襲時における流速ベクトル時系列の鉛直分布
図7 東京湾で観測された津波来襲時における流速ベクトル時系列の鉛直分布
図8 多層のデータを利用した場合の方向スペクトルの推定例
図8 多層のデータを利用した場合の方向スペクトルの推定例

 図8 は、方向スペクル推定時に使用する伝達関数を改良すると共に、図中の (1)~(10) に示すように1層から順に10層まで観測層数を増やして推定した例を示したものである。図8 に見られる様に、従来の1層から観測層数を増加させることにより、方向集中度の増加が認められる。これは方向スペクトルの推定精度が向上した結果を示唆するものである。さらに観測層数を3層以上使用した場合、推定された方向スペクトルの形状は酷似しており、安定してほぼ同じエネルギー分布を示していることがわかる。この結果は、推定された方向スペクトルの高い安定性と信頼性を示すものであり、今後の海洋波の特性解明に有用な成果であると信じている。

おわりに

 我々は、1990年頃から海象計の開発・改良に取り組み,長年に渡り海洋波の方向スペクトルの観測・解析法の研究を継続的に実施して来た。今回報告した結果はそれらのごく一部ではあるが、信頼性を有すると確信できるレベルの方向スペクトルが推定可能となった最近の状況をざっくりと紹介できたのではないかと期待したい。
 わが国の波浪観測の実績は、間違いなく世界のトップクラスであろう。しかし近年指摘されている波浪状況の変化スピードは著しく、これに観測・解析手法の改良が対応できていないように思う。これを転機と位置づけ、そろそろ有義波に代えてスペクトルに基づく検討が必要であると思う。港湾・海岸分野の多くの技術は有義波諸元に基づいて検討されてきたが、今後はスペクトルの観測情報を用いたより合理的な技術の検討・開発が必要かと思う。本報告がそれら技術的検討に少しでも役立つことを願う次第である。



【著者紹介】
三井 正雄(みついまさお)
株式会社ソニック

■略歴
1992年、株式会社カイジョーに入社(独立分社後、現ソニック)
入社後一貫して波浪観測技術の開発に従事
途中、港湾空港技術研究所、九州大学にて波浪データの解析手法に関する研究に従事