Wendy Schmidt Ocean Health XPRIZEの開催
イノベーションコンテストで圧倒的な知名度のあるXPRIZEは、Xプライズ財団が運営する「人類に利する技術開発を促進し、よりよく安全かつ持続可能な世界を目指す」を掲げ運営されている1)。 XPRIZEコンテストに参加すると、その設立のきっかけとなった「スピリット・オブ・セントルイス」の大西洋単独無着陸飛行の話が紹介される。1919年にパリ・ニューヨーク間での無着陸飛行の成功者に懸賞金を提示した「オルティーグPRIZE」というコンテストでは、ホテル経営者のレイモンド・オルティーグが資金提供をし、8年後の1927年にチャールズ・リンドバーグという若者が大西洋単独無着陸飛行の実現をした。この課題解決型のコンテストは多数の挑戦者とその失敗を重ねることとなるが、技術促進の種になる、という考え方によって、受け継がれてきている。XPRIZEは、Xのワードに、様々なスポンサーを冠し、トーナメント形式のような関門を設け、エンターテインメント的な要素も含みながら進められていく。
2010年にメキシコ湾沖の石油掘削施設からので発生した大量の原油流出事故は、メキシコ湾沿岸の海洋生態系にとても大きなダメージを与えた。当時のオイル除去作業は遅々として進む様子もなかったため、大手検索サイトGoogleのCEOであったエリック・シュミットらが設立したシュミットファミリー財団(ウェンディ・シュミット理事長)2)が、「ウェンディ・シュミット原油クリーンアップXチャレンジ(Wendy Schmidt Oil Cleanup X Challenge)」と冠したXPRIZEを立ち上げた。その後、古くから行われているようで技術波及が進んでいない海洋観測手法に興味を持ち、2013年より、大気中の二酸化炭素の増加による海洋酸性化する問題がクローズアップされた時期と重なり、海洋のpHセンサが、より広く普及することを目指した、賞金総額200万ドルの海洋pHセンサのイノベーションコンテスト「Wendy Schmidt Ocean Health XPRIZE」を開催した。シュミットファミリー財団は、その後も海洋に関する技術開発のイノベーションを支援し、Schmidt Marine Technology Partnersというシステムを作り、持続可能の漁業、海洋研究支援、海洋プラスチック汚染、ハビタットヘルスなどについて取り組んでいる3)。
海洋の健康とpH計測
海洋の酸性化は大気中の二酸化炭素の濃度と深くかかわっている。大気と海表面は平衡関係にあり、二酸化炭素ガスは海中に溶けると、炭酸イオンとして海洋を酸性化する。酸性化が進めば海洋の二酸化炭素を吸収する能力が低下するばかりか、プランクトン、サンゴ、貝類のミネラリゼーションのバランスが壊れ、海洋の生態系に大きな変化が現れる恐れが指摘された4)。これまでの研究から、海水は弱アルカリ性の特徴を持ち、海表面ではpH 8.1程度に、水深1,000m付近でpH 7.4程度になることが、日本の太平洋の沖合、北太平洋亜熱帯域でわかっている。これらはCTD採水器とよばれる装置を海中に投入し、それぞれの深度での海水サンプリングから、船上の実験室でpH計測をして得られる。(図1)
海洋研究開発機構(JAMSTEC)では、西部太平洋亜寒帯域の時系列観測点Station K2(北緯47度、東経160度)において海洋酸性化研究のための定点観測を実施している。脇田らはStation K2での長期的な時系列観測データ取得を行い、2013年に表面海水のpHの低下速度が10年あたり-0.024±0.007であり、水深200~300mでのpHの低下速度が10年あたり-0.051±0.010であると報告した5)。Doreらが2009年にハワイ沖の時系列観測点Station Aloha(北緯22度45分、西経158度)での海洋酸性化のデータを報告し、水深約250mでのpHの低下速度が最も早いことを示した6)。世界各国の時系列観測点は9か所程度あるが、すべてでpHの低下傾向が観測された。海洋酸性化の進行については今後も進行することは予測されているが、その実態は観測点の少なさから、まだ実態がよくわかっておらず、今後も海洋の監視を継続して、科学的知見を集積していくことが求められている。
海水のサンプリングによるラボでの計測は、高精度のpHセンサで実現できるのであるが、時系列データの高密度化においては乏しく、pHセンサの現場計測ができないか検討された。
ハイブリッドpHセンサ(HpHS)の開発
JAMSTECでは海底探査技術の開発を行ってきており、水中グライダーやランダー、自律型海底探査機(AUV)等の開発を行ってきた。そのため、これらに搭載可能なセンサの選定や開発を行ってきており、海洋においては少ない「現場型センサ」の研究開発に注力してきた。「現場型センサ」は数日から1年以上の外洋係留を想定したり、無人機への搭載を想定し、省電力・小型で高い安定性が求められた。前述の海洋酸性化のためには10-3の精度が求められ、CTD採水器などに搭載する場合には、降下上昇速度に合わせ計測するため、短い計測時間が求められる。また、pH計測では常識になっている「較正作業」を現場でどのように行うかも課題となる。JAMSTECでは、紀本電子工業と協力して海洋pH計測が可能な現場計測装置の開発を試みた。
pH測定法には様々な方法があるが、主なものはガラス電極法、pH指示薬を用いた比色法、ISFETなどを用いた半導体電極法がある。これらの中でpH指示薬を用いた比色法は、指示薬を選ぶことにより特定の範囲で高い精度での測定が可能であり、指示薬の劣化を防げれば、長期的に安定している利点がある。しかし指示薬や海水の混合、セルの洗浄などを行うため、分光解析にかかる電力の他、ポンプやバルブを設置し、駆動させるための電力も必要となり、試薬の保管・調整も必要で、取り扱いが煩雑になる。ガラス電極やISFET半導体電極を用いる方法は、計測の応答が早く、手軽に連続測定でき、消費電力が少ないという利点がある。一方、長期の利用では、個々の電極が持つ特性により、測定値が実際の値から離れていく“ドリフト”と呼ばれる現象が大きくなり、正しい計測ができなくなる。少しでも安定した計測ができるように、ガラス電極や半導体電極の工夫がなされてきたが、“ドリフト”は抑えられない。そんな中、Wendy Schmidt Ocean Health XPRIZEの開催が知らされた。
Wendy Schmidt Ocean Health XPRIZEに参加するにあたり、海洋における既存のpHセンサの欠点を克服する新しいpHセンサを開発することとした。XPRIZEの開始まで4か月程度の余裕があったため、既存の海洋pH計測で良い精度を示していたガラス電極センサと、海水pH計測で高い精度が出る現場型比色pHセンサをハイブリッド化させ、それぞれの欠点を補いながら長所を生かすHybrid pH Sensor System(HpHS)を開発した。(図2)HpHSは省電力なガラス電極法で、高頻度測定を行い、移動速度が速い時にも追従できるようにした。一方、ガラス電極法の数回~数十回の計測に対して、高精度な比色法で連携測定を行い現場補正することにより、長期間で安定したpH測定を可能とした。
次回に続く-
参考文献
3) https://www.schmidtmarine.org/
4) IPCC(2013),Climate Change 2013:The Physical Science Basis.Contribution of Working Group I to the Fifth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change.Cambridge University Press,Cambridge,United Kingdom and New York,NY,USA,1535 pp.
5) Wakita,M.,S.Watanabe,M.Honda,A.Nagano,K.Kimoto,K.Matsumoto,M.Kitamura,K.Sasaki,H.Kawakami,T.Fujiki,K.Sasaoka,Y.Nakano,and A.Murata(2013),Ocean acidification from 1997 to 2011 in the subarctic western North Pacific Ocean,Biogeosciences,10,7817-7827.
6) Dore,J.E.,R.Lukas,D.W.Sadler,M.J.Church,and D.M.Karl(2009),Physical and biogeochemical modulation of ocean acidification in the central North Pacific,Proc.Natl.Acad.Sci.U.S.A.,106,12,235-12,240.
【著者紹介】
三輪 哲也(みわ てつや)
国立研究開発法人海洋研究開発機構 研究プラットフォーム運用開発部門
技術開発部 調査役
■略歴
愛知県名古屋市生まれ
1991年 東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻博士課程修了
同年 新技術事業団創造科学技術推進事業 永山たん白集積プロジェクト 研究員
1995年 東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻藤嶋研究室 助手
1998年 海洋科学技術センター 深海環境フロンティア 研究員
2008年 独立行政法人海洋研究開発機構 海洋工学センター先端技術研究プログラム グループリーダー
2019年 国立研究開発法人海洋研究開発機構 研究プラットフォーム運用開発部門 技術開発部 調査役 現在に至る。 博士(工学)。
明治大学大学院理工学研究科 客員教授
横浜市立大学大学院生命ナノシステム科学研究科 客員教授