1. はじめに
乳癌は女性が最もかかりやすい癌で、早期発見・治療が重要である。わが国では40歳以上の女性を対象にX線マンモグラフィによる検診を推奨している。しかし、X線マンモグラフィには、X線被曝、高密度乳腺でのがんの見落とし、検診時の痛みなどの問題がある。代替手段として超音波診断装置が用いられているが、診断の信頼性は検査者の技量に依存、診断画像の再現性がない、検診に時間がかかる等の欠点がある。X線マンモグラフィと超音波診断の有効性について米国で調査したレポートがある(1)。調査対象は171名で、乳がんと確定診断された人は6名であった。MRIは全ての癌を検出することができたが、 X線マンモグラフィと超音波診断は2名の癌だけしか検出できなかった。このようにX線マンモグラフィと超音波による乳がん検診の信頼性は不十分である。MRIやPETは診断の信頼性が高いが、検診コスト、装置規模が大きく、スクリーニング手段として不適切である。このため、新たな診断技術が求められている。
近年、マイクロ波イメージング(Microwave Imaging : MI)によって乳がんを検出する研究が活発に行われている(2)。一般に、癌組織の複素誘電率(比誘電率、導電率)は、周囲(脂肪・乳腺)組織より高く(3)、マイクロ波が通過するときその境界で後方散乱波が発生する。MIでは後方散乱波を検出し、これを基に乳房内の断層像を再構成している。マイクロ波は水中を伝搬しにくく、人体内部のイメージングに適さないが、乳房は脂肪に富み、マイクロ波の通過減衰は比較的小さい。
MIによる撮像法は大きくUWB(Ultra Wide Band)レーダと逆散乱トモグラフィ)に分けられる。パルスレーダでは乳房に短パルスを送信し、同じアンテナや別のアンテナで反射信号を受信する。送受信の多くの組み合わせで得た受信信号を適当に合成することによって、乳房内の3 次元後方散乱波電力分布を求める。逆散乱トモグラフィの信号の収集方法はUWBレーダと同じであるが、逆散乱トモグラフィでは逆問題を解くことによって乳房内の3次元複素誘電率分布を求める。
逆散乱トモグラフィではMRIのように組織構造が再構成できる。複素誘電率は組織に含まれる水分量の多寡で決定されるので、病理診断に有益な情報を与える。しかし、再構成画像の品質はモデル化誤差、測定誤差に大きく影響され、演算量も莫大になるなど、実現のハードルが高い。UWBレーダでは癌などの散乱体の位置は検出できるが、乳腺やがんの組織構造を再現することはできない。UWBレーダの最大の問題は、健康な乳房でも乳腺による無意味な散乱像が現れ、がんの有無の識別が難しいことである。しかし、測定誤差の影響は比較的小さく、演算量も少ないことから、国内外で継続的に研究が行われている。
2. 乳房組織の複素誘電率
生体組織の誘電率や導電率は周波数によって異なり、デバイモデルで近似できる。
εs とε∞ は0Hzと∞Hzにおける誘電率、ε0 は真空の誘電率、σs は導電率、ω とτ は角周波数と緩和時間である。
乳がんの手術で摘出した乳房組織をがん、乳腺、脂肪に切り分け、誘電体プローブを使って各組織の比誘電率と導電率を測定した。直径2.2mmの誘電体プローブを使用して10%の測定誤差を許容するとき、深さ1.5mm、半径3.75mmの円筒状の領域が必要である(4)。検体を、3Dプリンタで作成した1cm×1cm×0.5cmの容器につめ、上から直径2.2mmの誘電体プローブを押し当てて複素誘電率を測定した。測定範囲は1~8GHzである。図1に測定の様子と検体の写真を示す。
図2(a)に日本人に多い浸潤性乳管がん患者の乳房組織の測定結果を示す。実線は複素誘電率の実部、点線は虚部である。赤、黒、青はそれぞれ、がん、乳腺、脂肪組織に対応する。組織の複素誘電率が周波数によって変化し、がん、乳腺、脂肪の順に複素誘電率が高いことが確認できる。
これまで100例近くの乳がん患者から組織を採取してデータを蓄積している。データを整理するなかで、図2(b)に示すように、乳房組織の比誘電率と導電率には強い正の相関があることを発見した。特に1.8GHz付近では、比誘電率εrと導電率σの関係は各組織とも一律に以下の式で近似できる。
この発見は逆散乱トモグラフィで画像再構成するときの重要な予備知識となる。
浸潤性乳管がんには充実型、硬性型、腺管形成型がある。また、浸潤性乳管がんのほか、管状がん、粘液がんなどの特殊型や、良性腫瘍もある。腫瘍の型によって複素誘電率の分布に特徴が認められるか、測定サンプルを増やして継続調査中である。また、組織の複素誘電率が、生体からの摘出前(in vivo)と摘出後(ex vivo)で、どの程度変化するかについても調査する予定である。
3. ハードウェア
図3にマイクロ波マンモグラフィのハードウェア構成を示す。乳房の周りにアンテナを複数置く。1つのアンテナを選択してマイクロ波を乳房に照射し、送信に使ったアンテナを含むすべてのアンテナで乳房からの後方散乱波を受信して記録する。送信に用いるアンテナを次々と変えて、観測データ群Xnn(n=1,..,N)を収集する。Xnnの添え字の1桁目は送信、2桁目は受信の番号を表す。18個のアンテナを使ってパルスを送受信する場合は、18×18=324の観測データ群が得られる。複数のアンテナからの信号を同時に受信するとハードウェアが複雑になるので、切り替えスイッチを使って時分割で受信する。送受信機は市販のベクトルネットワークアナライザ(VNA)を使用することが多い。フーリエ変換の関係から、UWBパルスは広帯域の周波数掃引信号と等価なので、パルスレーダであってもVNAが利用できる。なお、散乱トモグラフィとUWBレーダでは使用周波数が異なることが多いが、ハードウェア構成は同じである。
空中にあるアンテナから乳房にマイクロ波を照射しても、空気と乳房組織の電気インピーダンスが大きく異なり、ほとんどのエネルギーは皮膚で反射される。このため、アンテナと乳房を、乳房組織と類似した比誘電率や導電率を持つ整合液で満たしたタンクに入れて撮像することが多い(5)。近年、ホログラフィ技術を使えば、整合液がなくとも画像を再構成できるという報告もある(6)。
4. 撮像アルゴリズム
4.1 UWBレーダ
(1) アーチファクト除去
アンテナで受信される信号は、乳房組織からの散乱波のほか、皮膚からの反射や隣接アンテナからの再放射信号が含まれる。乳房組織からの散乱波は、皮膚からの反射や隣接アンテナからの再放射信号に比較すると1/100以下で、画像を再構成する前にこれらの不要信号(アーチファクトという)を除去する必要がある。アーチファクトを除去する方法として、平均減算法、回転減算法、線形予測法等が知られているが、近年、主成分分析と独立成分分析を組み合わせ、精度良くアーチファクトを取り除く方法が提案された(7)。筆者らも独立成分分析は主成分の1/100以下の大きさの信号を精度良く分離できることを確認しており、今後の展開が期待される。
(2) Delay and Sum(DAS)
図4 に代表的な画像再構成手法のDAS アルゴリズムを用いた撮像原理を示す。乳房の周りに置かれた複数のアンテナを乳房に向け、各アンテナから順次パルスを送信し、散乱応答を同じアンテナで受信する。乳房内に設定するピクセルの位置ベクトルをr、散乱体(がん)の位置ベクトルをr0 で表す。乳房内ピクセルを設け、ピクセルとアンテナ間距離から応答の伝播遅延時間 τp = [τ1p τ2p … τNp] を計算する。N はアンテナの数である。伝搬遅延時間は、伝播距離と撮像領域の平均的な伝搬速度(8)から求める。求めた遅延時間だけ各アンテナの受信信号の時間軸を進める。設定したピクセルの位置r とがんの位置r0 が一致する場合、各アンテナの時間シフト後の後方散乱応答のタイミングが一致するので、それらの信号の総和をとると大きな応答が得られる。一方、r とr0 が一致しない場合、時間シフト後の散乱応答の総和は小さな応答となる。ピクセルを乳房内の領域で順次移動し、時間移動後の散乱応答の総和からピーク電力を計算していくことで後方散乱電力分布が得られる。
図4の説明では、送信と受信で同じアンテナを使用した。このようなレーダはモノスタティックレーダと呼ばれる。送信と受信に異なるアンテナを用いるレーダ波をマルチスタティックレーダと呼ぶ。一般に、マルチスタティックレーダは扱う情報量が多く、再構成画像の情報量も増す。DASはマルチスタティックレーダに容易に拡張できる。
(3) いろいろな撮像アルゴリズム
再構成アルゴリズムとして、DASのほか、ビームフォーミング法 (MIST : Microwave Imaging Via Space Time(9), MAMI : Microwave Adaptive Multistatic Imaging(10))、超分解法(TR MUSIC, Time Reverse MUSIC(11)), 波頭再構成法(電波ホログラフィ(12))など多くの方法が提案されている。超分解法は欧州の実証機に採用され、評価が行われている(7)。波頭再構成法はノートPCでも2-3秒で画像が再構成でき、超音波診断装置のようなリアルタイム性が実現できる可能性がある。
4.2 逆散乱トモグラフィ
(1) 画像再構成の原理(13)
逆散乱トモグラフィでは、乳房を含む撮像装置のハードウェアを小さな立方体(ボクセルという)でモデル化し、モデルでのアンテナの応答と、実際の撮像装置で得た応答を比較し、両者が一致するモデル化した乳房内のボクセルの複素誘電率を探索する。図5に画像再構成のブロック図を示す。
最初に計算機シミュレーションで各アンテナの受信応答を求める。乳房内のM個のボクセルに、予備知識に基づき適当な比誘電率と導電率を割り当て、受信データ群Ynnを計算する。一方、実際の測定装置では観測データ群Xnnが得られる。Ynn=Xnnとなるように、モデル化した乳房の比誘電率と導電率分布をニュートン法に基づいて更新する。比誘電率と導電率分布をまとめてτ=(ε,σ)で表すと、
ここで, kは繰り返し番号、Δτk は観測データ群Xnnと、仮定した比誘電率と導電率分布で計算した受信データ群Ynnの差ΔΨ=Y-Xを小さくするための更新量で、次の式によって求められる。
D (∝CN×3M)は、現時点での比誘電率と導電率分布において、あるボクセルの比誘電率や導電率を変化させた時、受信信号に現れる変化を表す感度行列(ヤコビアン)、+は行列やベクトルの共役転置を表す。行列の次元が3Mになっているのは、x、y、zの3方向の電磁界を考えなければならないからである。[ ]の逆行列計算を解くため、次のチーホノフの正則化を適用する。
ここで I (∝C3M×3M) は単位行列、gは正則化係数である。これらの処理を繰り返し実行し、Δτk のノルムがある程度小さくなったとき、処理を打ち切る。このときのτkが再構成画像となる。
(2) 逆散乱トモグラフィの課題
逆散乱トモグラフィを実現するに当たって解決すべき課題は以下に要約できる。
a. シミュレーションモデルで得た受信応答を、実際の撮像装置で得られる受信応答と完全に一致させなければならない。この実現は、マイクロ波帯では極めて困難である。
b. mmオーダーの分解能を得るため、数千から数万のボクセルで乳房をモデル化するので、未知数の数は1つの周波数で数万に達する。一方、実際に得られる測定データの数は、N素子のアンテナではN(N-1)/2である。アンテナの大きさは使用周波数で決定され、SNRの確保を考慮すると使用周波数は低いほうが望ましいが、アンテナが大きくなる。このとき乳房の周りに多くのアンテナを配置することはできない。逆散乱トモグラフィは未知数よりはるかに少ない観測データで未知数を求める不適切問題である。不適切問題を正確に解くことは困難である。
c. 受信アンテナは小さなボクセルの複素誘電率の変化に帰する散乱波の変化を検出できなければならず、高利得が必要である。
これらの課題を解決する方法については後で述べる。
次回に続く-
参考文献
1) C. D. Lehman, C. Isaacs, M. D. Schnall, E. D. Pisano, S. M.Accher, P. T. Weatherall, D. A. Bluemke, D. J. Bowen, P. K. Marcom, D. K. Armstrong, S. M. Domchek, G. Tomlinson, S. J. Skates, and C. Gatsonis, “Cancer Yield of Mammography. MR, and US in High Risk Women,” Radiology, Vol.224, no.2, pp.381-388, 2007.
2) Kuwahara,” New Perspectives in Breast Imaging,- Microwave Imaging for early breast cancer detection” ISBN 978-953-51-5553-9, Intech, 2017
3) M. Lazebnik, L. McCartney, D. Popovic, C. B. Watkins, M. J. Lindstorm, J. Harter, S. Sewall, A. Magliocco, J. H. Brooske, M. Okoniewski, and S. C. Hagness, “A large scale study of the ultra wideband microwave dielectric properties of normal, benign, and malignant breast tissues obtained from cancer surgeries,” Phys. Med. Biol., Vol.52, no.20, pp.6093-6115, 2007.
4) D. M. Hagl, D. Popovic, S. C. Hagness, J. H. Booske, M. Okoniewski, “Sensing Volume of Open-Ended Coaxial Probes for Dielectric Characterization of Breast Tissue at Microwave Frequencies,” IEEE Trans. on Microwave Theory and Techniques, vol.51, No.4, pp.1194-1206, 2003.
5) T. M. Grzegorczyk, P. M. Meaney, P. A. Kaufman, R. M.diForio-Alexander, and K. D. Paulsen, Fast 3D Tomographic Imaging for Breast Cancer Detection, IEEE trans on Medical Imaging, Vol.31, No.8, pp.1584-1592, 2012.
6) M. S. Nepote, T. Reiner, and S. Pistrius,”An Air Operated Bistatic System for Breast Microwave Radar Imaging: Pre-Clinical Validation,” Proc. of EMB2019, 2019.
7) A. Fasoula, B. M. Moloney, L. Duchenene, J. D. Gil Cano, B. L. Oliveria, J-G. Bernard, and M.J. Kerin, “Super resolution radar imaging for breast cancer detection with microwaves: the integrated information selection criteria,” Proc. of EMB2019, 2019.
8) M. Sarafianou, I. J. Craddock, T. Henriksson, M. Klemm, D.R. Gibbins, A.W. Preece, J. A. Leendertz, R. Benjamin, “MUSIC Processing for Permittivity Estimation in a Delay-And-Sum Imaging System,” Proc. of 2013 EUCAP, 2013.
9) Essex J. Bond, Xu Li, Susan C. Hagness, and Barry D. Van Veen, “Microwave Imaging via Space-Time Beamforming for Early Detection of Breast Cancer,” IEEE Trans. on Antennas and Propagation, VOL. 51, NO. 8, pp. 1690-1705, 2003.
10) Y. Xie, B. Gio, L. Xu, J. Li, and P. Stoica, “Multistatic Adaptive Microwave Imaging for Early Breast Cancer Detection,” IEEE Trans. on Biomed. Eng. Vol.53, No.8, pp.1647-1657, 2006.
11) D. Hossain, A. S. Mohan, and M. J.Abedin, “Beamspace Time- Reversal Microwave Imaging for Breast Cancer Detection,” IEEE Antennas and Wireless Propagat. Letters, Vol.12, pp.241-244, 2013.
12) D. Flores-Tapia and D. Rodrigues, “Experimental feasibility of multistatic holography for breast microwave radar image reconstruction,” Med. Phys. 43(8), pp.4674-4686, 2016.
13) J D. Shea, P. Kosmas, V. Veen and S. C. Hagness, “Contrast-enhanced microwave imaging of breast tumors: a computational study using 3D realistic numerical phantoms”, Inverse Problem 26 074009, 2010.
【著者紹介】
桑原 義彦(くわはら よしひこ)
静岡大学 工学部 電気工学科 教授
■略歴
1978 慶大・工・電気卒、同年日本電気(株)入社
1999 静岡大学工学部助教授
2006 同大教授、現在に至る
工学博士
アンテナ・電波伝搬、航空電子機器、移動通信システム、アレー信号処理、ワイヤレス送電、マイクロ波イメージングの研究開発に従事
1988 防衛装備協会賞
1997、1999電波功績賞受賞 IEEE会員