1. はじめに
作業環境中の有害ガス検知や食品の生産・輸送現場における品質管理のための匂い分析、ひいては惑星探査における月・惑星・小天体の表面その場分析など、多種類のガスのオンサイト分析には多様なニーズがある。多種類のガスを分析する方法は、大きく2つある。1つはセンサアレイを用いた方法である。センサアレイは小型であり、短時間で測定できるが、湿度など環境因子に影響し、複雑な組成のガスの分析には限界がある。もう1つは、混合ガスをカラムで分離して検出するガスクロマトグラフ(Gas chromatograph; GC)を用いた方法である。GCは、温度制御したカラムで混合ガスを分離するため、環境による影響を分離することができ、幅広いガスの分析に有効である。しかし、通常のGCは大型で現場への持ち運びが困難という課題がある。これに対してボールウェーブでは、検出器として小型で高感度なボールSAWセンサを用いた可搬型のボールSAW GC1)を開発してきた。
本稿では、ボールSAW GCの原理を説明し、JAXA宇宙探査イノベーションハブでの共同研究において開発した有人宇宙環境モニタリングを目的とした1リットルサイズのGCや、製品プロトタイプとして開発した手のひらサイズGCの“Sylph”を用いた日本酒の香気成分分析の実験結果を紹介する。
2. ボールSAW GCの原理
図1にボールSAW GCの概念図を示す。本GCでは、サンプルガスを効率的に捕集しカラムに注入するため小型の濃縮器2)を備える。濃縮器は、ステンレス管の中に吸着剤を充填し外周に抵抗加熱のためのニクロム線を巻き付けた。測定手順は、まずサンプルガスをポンプで濃縮器に吸引して吸着剤に吸着させる。次に、バルブを切り替えて濃縮器を抵抗加熱により急速昇温すると、吸着した化合物は脱離して、キャリアガスによってカラムに導入される。それらの各化合物は、カラムの内面に塗布された固定相との相互作用の違いによって異なる保持時間でボールSAWセンサに到達し、センサに成膜された感応膜との相互作用により多重周回するSAWの遅延時間変化として検出される。ボールSAWセンサの感応膜はカラムの固定相材料を用いることで、カラムで分離できる幅広い化合物を検出できる。
ボールSAWセンサはSAWの多重周回により高感度化を実現しているため、感応膜を薄く設計できる。これにより、時間分解能が求められるGCの検出器として現実的な応答速度を実現している。ボールSAWセンサは、他の代表的なGCの検出器である水素炎イオン化検出器(Flame ionization detector; FID)や熱伝導度型検出器(Thermal conductivity detector; TCD)と同様に、質量分析器(Mass spectrometer; MS)のような化合物の識別性はないが、MSに比べて非常に小型である。さらに、ボールSAWセンサは、100 ℃以上の動作を基本とするFIDやTCDに対して室温で動作することから省電力である点や、FIDに必要な燃焼ガス/支燃性ガスの供給やTCDに必要な参照ガスが不要な点で有利である。
3. 有人宇宙環境モニタリングのための超小型GC
ボールSAWセンサは、ガスを非破壊で検出できるため、一度検出したガスを再利用することが出来る。そこで、2つのカラムとセンサを用いて短時間で多種類のガスを分析できるガス直進法と呼ぶカラムスイッチング法が開発された3)。図2にガス直進法の概念図を示す。まず、図2(a)に示すように直列接続の状態で、化合物A~Gを含むサンプルガスを注入する。1つ目のカラム(CL1)は保持力が小さく、化合物AからCは分離されず重なったピークとしとして一つ目のセンサ(BS1)で検出され、2つ目のカラム(CL2)に導入される。
次に図2(b)に示すように並列接続に切り替えると、CL1に保持されていた化合物DからGはCL1で分離されBS1で検出される。化合物AからCは、CL1よりも保持力の大きいCL2で分離され、2つ目のセンサBS2で検出される。以上より、ガス直進法を用いることで、1つのカラムを用いたときの凡そ半分の時間で測定することが出来る。また1種類のカラムではどのような固定相を用いても分離が困難な化合物も、異なる固定相を持つ2種類のカラムを通過させることで分離することができる。
図3は、ガス直進法を適用したGCの例である4)。キャリアガスは水素吸蔵合金キャニスターから供給され、圧力コントローラーで流量を制御されている。キャリアガスラインを除いたシステムの外形は、10×20×5.6 cmで体積が近似的に1 Lであるため、リッターGC(LGC)と呼ばれている。濃縮器は吸着剤として、Carboxen®1000とTenax®TAをそれぞれ約5 mg充填した。CL1は、ステンレス板の微細加工技術により小型化した20m長の流路に固定相として14% cyanopropylphenyl-86% dimethylpolysiloxaneを塗付したメタルMEMSカラム5)を用いた。CL2は、固定相にPolyethylene glycol (PEG)を塗付した15 mの金属キャピラリーカラム(UltraALLOY®/フロンティア・ラボ)を内径30 mm、外径75 mm、厚さ1 mmの円筒状に巻いたソレノイドカラムを用いている。
中心周波数150 MHzのφ3.3 mm水晶球に、感応膜としてBS1はpoly-dimethylsiloxane (PDMS)を、BS2にpoly-N-vinylpyrrolidone (PNVP)をそれぞれ成膜したボールSAWセンサを用いている。カラム温度制御機構やバルブ制御機構など卓上型GCと同等の機能を有して、システムの重量は約1㎏だった。さらに、開発した濃縮器は、卓上型GCでは液体窒素を用いたコールドトラップを実装しなければ不可能なクロマトグラムの短いバンド幅を達成できる。
LGCを用いて、NASAの規格Spacecraft Maximum Allowable Concentrations For Airborne Contaminants (SMACs)6)に指定される有害ガスから表1に示す12種類を選定した混合ガスを分析した。化合物4~7は分子量の近い低分子で、どんな固定相を用いても単一カラムでは分離できない。この混合ガスの選定は、分析法に対して開発課題を提示することも目的としている。
サンプルガスは、窒素中に表1の化合物を各濃度50 ppmvで調整したガスボンベを購入し、これを窒素で0.1から2 ppmvの範囲で希釈した。測定では、サンプルガスを、流量25 ml/minで、1分から25分の範囲で濃縮器に捕集した。カラム温度はCL1, CL2ともに40℃で5分間保持した後10 ℃/minで140 ℃まで昇温した。図4に各濃度2 ppmvの混合ガスを5分間、体積として125 ml捕集して分析した結果を示す。図中の各数字は表1の数字に対応する。上段に示すBS1のクロマトグラムでは、化合物1~7とサンプルガス調整中に混合した水が十分に分離されなかったが、下段のBS2のクロマトグラムでは、それぞれピークとして確認できた。化合物8~12は、キシレンの異性体である10,11を除いて明瞭に分離したピークとしてBS1で検出された。
次回に続く-
参考文献
- 1) S. Akao, N. Iwata, M. Sakuma, H. Ohnishi, K. Noguchi, T. Tsuji, N. Nakaso, and K. Yamanaka, “Development of Microseparation Column for Ball Surface Acoustic Wave Gas Chromatograph,” Jpn. J. Appl. Phys., Vol. 47, 2008, pp. 4086-4090.
- 2) T. Iwaya, S. Akao, K. Yamanaka, T. Okano, N. Takeda, Y. Tsukahara, T. Oizumi, H. Fukushi, M. Sugawara, T. Tsuji, T. Tanaka, R. Hiraoka, A. Takeda, A. Shima, S. Matsumoto, H. Sugahara, T. Hoshino, and T. Sakashita, “Development of Ball SAW Gas Chromatograph with Preconcentrator for Analysis of Multiple Hazardous Gases,” Proc. 41st Symp. Ultrasonic. Electronics, 2020, 3J3-1.
- 3) Y. Yamamoto, S. Akao, H. Nagai, T. Sakamoto, N. Nakaso, T. Tsuji, and K. Yamanaka, “Development of Multiple-Gas Analysis Method Using the Ball Surface Acoustic Wave Sensor,” Jpn. J. Appl. Phys., Vol. 49, 2010, 07HD14.
- 4) 岩谷隆光,赤尾慎吾,山中一司,岡野達広,竹田宣生,塚原祐輔,大泉透,福士秀幸,菅原真希,辻俊宏,田中智樹,武田昭信,島明日香,松本聡,菅原春菜,星野健,坂下哲也, “ボールSAWセンサを用いた有人宇宙環境モニタリング用ガスクロマトグラフの開発とその地上利用,” 圧電材料・デバイスシンポジウム2022, 151-156.
- 5) T. Iwaya, S. Akao, T. Sakamoto, T. Tsuji, N. Nakaso, and K. Yamanaka, “Development of High Precision Metal Micro-Electro-Mechanical-Systems Column for Portable Surface Acoustic Wave Gas Chromatograph,” Jpn. J. Appl. Phys., Vol. 51, 2012, 07GC24.
- 6) V. E. Ryder, “Spacecraft Maximum Allowable Concentrations for Airborne Contaminants,” JSC 20584, April 2020.
【著者紹介】
岩谷 隆光 (いわや たかみつ)
ボールウェーブ株式会社 研究開発本部
■略歴
2010年3月 東北大学工学部材料科学総合学科卒業
2012年3月 同大学修士課程修了
2012年4月 株式会社LIXIL入社
2019年1月 ボールウェーブ株式会社入社、現在に至る