非破壊・非接触のテラヘルツ波IoTセンシングとデータサイエンス(1)

日本電信電話株式会社
NTT先端集積デバイス研究所
  味戸 克裕

緒言

テラヘルツ波を用いたセンシング技術は電波の材料透過力と光の材料識別力(物質同定能力)の2つの能力があり、新しい非破壊検査手法として注目される。図1に示すように、テラヘルツ(THz)という言葉は、電波では周波数がおよそ300GHz(3×1011Hz)以上の未アロケーショの周波数から10THz(1013Hz)を示し、光は波長1mm以下(周波数換算で300GHz以上)を示す。そのため、2つの能力を併せもつ周波数の領域として狭義のTHz波あるいはTHz光は0.3〜3THzとなるが、一般ではもう少し広くとって、0.1〜10THzを示す[1]

図1:テラヘルツ波の周波数帯域と材料透過性・材料識別力との関係.

THz波センシングの手法は、基本的には非破壊・非接触のセンシングであり、電波の材料透過力を生かした材料内部のイメージング、光の材料識別力を生かした分光センシング、その両方を生かした物質同定の分光イメージングなどがある[2]

ソサイエティ5.0 やインダストリー4.0におけるスマートファクトリーのIoT (Internet of Things)センシングは、インラインモニタリングであり、工場の製造ラインの中にセンサを組み込むことが必要とされ、THz波はIoTセンシング技術の1つと期待されている。THz波は金属を透過できないが、プラスチック、テフロン、セラミックスなど誘電体を透過ことができる。ガラスについては透過しにくいが、結晶である石英はZ軸方向に高い透過性があるため、IoTセンシング装置におけるTHz波の窓材として利用することができる。また、水分の吸収が高いため、含水率の高い材料を透過することは難しいが、薄膜状にして液体を測定することは可能である[3]
THz分光スペクトルのピークは比較的ブロードであるため、単純にピークの周波数をデータベース化するのでは定量分析をすることは難しいため、カーブフィッティングや多変量解析が有効である。また、THzスペクトルの解析は複雑であり、分子動力学によるシミュレーションなどデータサイエンスの活用が必要である[4]
本稿では、THz波センシング技術で何が分かり、IoTセンシング技術はどのような分野に広がるのか、さらに、THz分光センシングシステムはどのような装置構成で、データサイエンスがなぜ必要なのかなど、THz波センシングの現状と将来について述べる。

1.テラヘルツ波センシング技術で何が分かるのか。

図2に示すように、中赤外線領域には分子内振動のモード、マイクロ波領域には分子の配向緩和のモードのあることが古くから知られていたが、THz波領域には分子間振動のモードがあることが分かってきた。中赤外線領域の分子内振動のモードを「分子の指紋」と呼ぶのに対して、THz波領域は「分子間の指紋」ということができる。これは、分子同士がどのように結びついているかということであり、医薬結晶の溶解しやすさや体内吸収のしやすさなど、これまで得られなかった物理パラメタを得られることがTHz波センシングの特長である。具体的には、水素結合の振動モードや分子の歪みモード、クラスタ・ナノ粒子の振動モード、低周波数分子振動モード、結晶のフォノンモード、気体分子の回転モードなどがある。1THzは波長0.3mmに相当し、その波長の大きさから微粒子の材料識別力は無いように思うかもしれないが、実際はクラスタやナノ粒子といった超微小な数原子の物質種の識別が可能である[5]

図2:テラヘルツ波センシングで得られる分子情報

THz波センシングの主な応用分野として、非破壊検査、セキュリティー、環境、バイオメディカル、高分子制御の5分野を示す(図3)。非破壊検査分野として、薬効のある医薬成分と錠剤を形作る賦形剤の成分が複雑に混合される医薬品の製造工程のモニタリングなど医薬品検査、食品の原材料や製造工程におけるプラスチック破片など異物混入に関する食品検査、複数層の自動車塗装の膜厚やガスタービンのセラミックコーティングの膜厚分布などの工業材料の膜厚評価などがある。これらは、THz波を用いたIoT センシング技術として工場の製造ライン中での非破壊検査を可能とするものである。その他の非破壊検査の適用例としては数層に絵具が塗られた絵画などの美術工芸品や古墳内の壁画などの文化財の検査、外壁内部の木材などの建材点検、被覆された電線などのインフラ点検などがある[6]

図3:テラヘルツ波センシングの主な応用分野

セキュリティー分野では、空港の手荷物の危険物探知や駅などでの不審物所持検査などがあり、環境分野では、THz波の電波としての透過性を生かして煙の多い火災現場難度での有害ガス分析や宇宙探査での酸素・水分・氷の検出などがある。また、また、バイオメィカル分野では、メタマテリアルで高感度化して染色せずに特定の生体分子を検出する非染色バイオセンサ、大規模な火災を想定して負傷者のやけどの深度を迅速に判定するやけど診断、正常細胞と異常細胞のスペクトルの違いを利用する皮膚ガンや胃がんの診断、医療材料として軟骨などに用いることができるハイドロゲルなどの含水率や構造評価などがあるが、基本となる測定原理は水素結合などの分子間の相互作用の検出となる。その他、新しい分野として、分子が強いTHz波によって高分子構造が変化することによる高分子材料やDNAの制御技術が報告されている[7]

2.テラヘルツ波IoTセンシング

THz波IoTセンシングの例として図4に医薬成分の非破壊・非接触検査に向けた概念図を示す[8]。医薬品錠剤をインラインでTHz分光センシングあるいは分光イメージングによって医薬品有効成分(API: Active Pharmaceutical Ingredient) の量や結晶多形を識別することであり、いわゆる全品検査である。

図4:テラヘルツ波IoTセンシングによる医薬成分の非破壊・非接触検査の概念図

全品検査では、工場ラインにおいて、医薬錠剤の各1個ずつに含まれるAPIの結晶構造や量を確認する。この図では錠剤成型直後の段階での非破壊検査の概念図を表す。APIの結晶多形は水への溶解性、すなわち体内への吸収性(バイオアベイラビリティ)を向上させるため、あえて不安定な結晶形を用いる場合が多い。そのため、周囲の環境によって徐々に安定な別の構造(結晶多形)に変化して水への溶解性が低くなる場合や空気中の水分を結晶内に取り入れてより安定な水和結晶になる可能性がある。このような水和結晶を擬似結晶多形とよび、広義の結晶多形に含める。テラヘルツ分光は「分子間の指紋」を識別できるため、結晶多形の違いを含めたAPIの品質管理に有効と考えられる。図の右下には胃薬の成分で、H2受容体拮抗剤に含まれるファモチジンの例を示している。結晶多形として安定なA型と不安定で溶解性の高いB型があり、B型のみが薬効を示す。同じファモチジンという分子であっても、結晶多形が変わればTHzスペクトルのピークは全く異なり、実際には薬効が異なる。製造の工程によって薬効の小さな安定した結晶形に変移する可能性があるため、IoTセンシングでのインラインモニタリングが重要となる。ドラッグストアで購入した市販薬では、ほとんどがB型であることが確認できた[8]

錠剤成形前の原材料の段階や包装後の段階でもTHzセンシングは有効と考えられる。包装後の医薬品製造の過程のユースケースを考えると、プラスチック包装をTHz波は透過するがアルミ箔は透過しないため、透過配置ではなく反射配置にするなど工夫が必要となる。アメリカ食品医薬品局(FDA: The United States Food and Drug Administration)では、PAT (Process Analytical Technology)とよばれる製造プロセスにおける品質管理を医薬品生産に導入するためのガイドラインを公表しているが、安心・安全のための全品検査のニーズは高まっており、テラヘルツ分光を使ったIoTセンシング技術もそれに向けて、他の分光法と共に進歩していくことが期待されている。また、最近では個々の患者さんが一度に複数の錠剤を服用する場合に、3Dプリンターにより複数の錠剤を一個にまとめるようなことが可能な医薬品がアメリカでは認可されていて、いわゆるデータメード医療であるが、それに使われる生分解性ポリマーの評価にテラヘルツイメージングが有効であることが報告されている[9]

次回に続く-

参考文献
1) 味戸克裕,光アライアンス, 30, 8(2019) 59-63.
2) K. Ajito, IEEE Transactions on Terahertz Science and Technology 5, 6 (2015) 1140-11457.
3) M. Kondoh, M. Tsubouchi, Optics Express, 22, 12 (2014)14135-14136.
4) Y. Ueno, K. Ajito, N. Kukutsu, E. Tamechika, Analytical Sciences, 27,4 (2011) 351-356.
5) 味戸克裕, Optronics, 38, 5(2019) 68-72.
6) Y. Ueno, K. Ajito, Handbook of Terahertz Technologies: Devices and Applications (Terahertz chemical spectroscopy, Chapter 14, pp. 430-446), 2015.4, Pan Stanford, CRS Press; D. M. Mittleman, Optics Express, 26, 8(2018) 9417-9431; T. Jyo, H. Hamada, IEEE Transactions on Terahertz Science and Technology, 8, 3(2018) 278-286.
7) H. Hoshina, H. Suzuki, C. Otani, M. Nagai, K. Kawase, A. Irizawa, and G. Isoyama, Scientific Reports, 6 (2016) 27180.
8) 味戸克裕, 製造プロセスにおけるIoT、ICT技術の活用(第3章4節連続波テラヘルツ分光法による錠剤中の分子種・結晶種識別, pp. 180-190, 2017.04, 技術情報協会.
9) D. Markl, J. A. Zeitler, C. Rasch, M. H. Michaelsen, A. Müllertz, J. Rantanen, T. Rades, J. Bøtker, Pharmaceutical Research, 34, 5 (2017)1037–1052.

【著者紹介】
味戸 克裕(あじと かつひろ)
日本電信電話株式会社 NTT先端集積デバイス研究所 主任研究員

■略歴
1995年 東京大学大学院工学系研究科応用化学専攻博士課程修了、同年日本電信電話(株)(NTT物性科学基礎研究所)入社。ミリ波・テラヘルツ光を使った分析化学および超高速無線技術、多孔質材料や光ピンセット技術を使った脳神経伝達物質のラマン分光分析法、医薬品のIoT非破壊イメージング検査技術などのセンサとデータサイエンスの研究に従事。
2010〜2014年 日本分光学会理事
2017〜2018年 千葉工業大学機械サイエンス学科非常勤講師
2018年 横浜国立大学理工学部数物・電子情報系非常勤講師、京都大学農学部森林科学科非常勤講師
2018年〜 電気学会センサ・マイクロマシン部門幹事(広報担当)
2018年~ 早稲田大学先進理工学部非常勤講師
IEEE学会会員、電子情報通信学会会員、アメリカ化学会会員、電気学会会員、日本分光学会会員、日本分析化学会会員