嗅覚センサとロボット(1)

東京農工大学
生物システム応用科学府
教授 石田 寛

1.はじめに

人間の視覚に相当するカメラを搭載したロボットは多数存在し、画像に捉えた人物を自動的に認識するなど、視覚を活用して様々な作業を行うことができる。人間の聴覚に相当するマイクロフォンを搭載し、人間が発した音声を自動認識できるロボットも珍しくはない。一方、嗅覚を搭載したロボットは、ほとんど存在しない。その理由は幾つか考えられる。これまでロボット研究は、産業用ロボットの開発を中心に進められてきた。工場で働くロボットに嗅覚は必要ないと思われてきた感がある。カメラやマイクロフォンと異なり、ロボットにすぐに搭載できるような「嗅覚センサ」が市販されていなかったのも一因であろう。

しかし近年、色々な種類のガスセンサが容易に入手できるようになってきた。様々な匂いを識別可能な嗅覚センシングシステムの研究も、着実に進められている1)。ロボットに嗅覚を持たせることができれば、従来のロボットでは困難であった様々なタスクを行わせることが可能になる。例えば、空港を警備するロボットが、床に落ちているペットボトルをカメラで見つけた場合を考えてみよう。その中に透明な液体が入っていた際に、それが危険な薬物なのか、ただのミネラルウォーターなのか、カメラ画像のみから判断することはできない。しかし、蓋を開けて匂いを嗅げば、内容物が何であるか、調べることができる。また、地雷探知犬や災害救助犬は優れた嗅覚を利用し、地面に埋まった地雷や瓦礫に埋もれた生存者を探し出す。犬のように匂いをたどってその発生源を探索できるロボットが実現すれば、ガス漏れ箇所の自動探索や環境汚染源の特定などにロボットを応用することが可能となる。

本稿では、嗅覚ロボット実現に向けた研究の動向を、筆者らの研究を中心に紹介する。嗅覚を利用して様々な作業をロボットに行わせるためには、検知対象とする匂いやガスを高感度に検出できるセンサが必要となる。しかし、犬と同等の感度や匂い識別能力を持つセンサは、未だに実現されていない。生物嗅覚とガスセンサでは応答速度にも大きな隔たりがあり、生物の嗅細胞の応答速度が0.1秒程度であるのに対し、一般的なガスセンサは応答・回復に数十秒を要する。しかし、たとえ高感度で高速なガスセンサが開発されたとしても、それを単純にロボットに載せるだけで犬のように匂い源を探索できるようになる訳ではない。匂いセンサやガスセンサの開発状況の解説は他稿に譲り、本稿では化学物質を検出するセンサをロボットで活用する手法について概説する。

2.嗅覚を持ったロボットに行わせるタスク

嗅覚を備えたロボットが実現すれば様々な応用が考えられるが、これまでの研究では主に以下の三つの用途が検討されてきた2)

(A)地面に残された臭跡の追跡
(B)匂い・ガスの発生源探索
(C)匂い・ガスの空間分布計測

(A)の臭跡を追跡するロボットは、1994年にRussellの研究グループによって提案された3)。 餌を発見した働きアリは、餌の一部を巣に持ち帰る際に道しるべフェロモンを地面に残し、他の働きアリを餌の場所まで誘導する。この行動をRussellらはロボットで模倣し、幾つかの応用例を提案している。例えば、大量の荷物を複数のロボットで分担して運ぶ場合に、先頭のロボットが地面に匂い溶液をたらしながら移動する。後続のロボットは、地面から揮発する匂いを手掛かりにし、先頭のロボットの後をついていくことができる。複数のロボットで床の拭き掃除を行う際に、地面に洗剤の匂いが残っていれば、そこは他のロボットが既に掃除したことを意味する。洗剤の匂いがする場所を避けて掃除をするようにすれば、複数の掃除ロボットを容易に協調動作させることができる。しかし、1994年当時と異なり現在では、ロボットの画像処理能力が大幅に向上した。匂いを使わなくても、カメラ画像を用いて互いの位置を確認する方が簡単かつ確実であろう。

(2)のガス源探索ロボットは、空気中を漂うガスの分布をたどって、その発生源の位置を突き止める。一般に、空気中におけるガス分子の拡散速度は非常に遅く、メタンのような小さな分子であっても、計算上は1時間に50 cm程度しかガスが広がらない2)。煙突から放出された煙が風にたなびくように、発生源から放出された匂いやガスの分子は主に気流に運ばれて空気中を広がり、プルームと呼ばれる帯状の分布を風下方向に形成する。屋外、室内を問わず現実環境における気流はほとんどの場合に乱流となっており、風速や風向が不規則に変動する。したがって、図1に示す煙のように、ガスの分布も不規則に蛇行し、その形は時々刻々と変化する。地面に残された動かない臭跡をたどるのは比較的容易であるが、空気中をたなびくプルームをたどるのは、非常に困難である。

図1 風にたなびく煙

一方、(C)の匂い・ガスの空間分布を計測するロボットは、容易に実現できる。図2に示すロボットは、9種の半導体ガスセンサからなるe-nose(electronic nose)を搭載し、検出したガスの種類を識別することができる4,5)。また、二次元超音波風向風速計を搭載し、ガスを運んできた気流の速さと向きを測定できる。このロボットを用い、周囲に障害物のない開けた屋外で、ガス濃度分布を計測した結果を図3に示す。12 m四方の領域の中央に液体のエタノールを入れたシャーレを置いてガス源とし、2 mおきに設けた36個の測定点にロボットを移動して測定を行った。ガスセンサの応答値は、ガス中におけるセンサの抵抗値Rsを清浄空気中における抵抗値Raで規格化した値であり、ガス濃度が高くなるほど応答値は小さくなる。矢印で表した風速ベクトルを見ると、風向や風速が大きく変動していることが分かる。その結果、シャーレから揮発したエタノールガスも広範囲にまき散らされているが、等高線図で表したガスセンサ応答を見ると、概ね図の右上に向かってエタノールガスが広がっていることが分かる。汚染物質の広がりを確認する際などに、このようなロボットを活用できるものと期待される。

図2 ガスセンサと風速計を備えた移動ロボット
(日本機械学会の許諾を得て文献4)より転載)
図3 屋外で測定したガス濃度分布と風速の分布
(日本機械学会の許諾を得て文献4)より転載)

しかし図3を見ると、中央にあるガス源よりも右上にずれた位置で最も高いガス濃度が検出されている。このように、ガス濃度分布からガス源の位置を正確に判定することができない場合もある。理論的にはガス源の位置でガス濃度が最大となるが、図3に示した実験では、ガス源が地面に置かれているのに対し、地表から少し離れた高さでガス濃度を測定している。また図3では、各測定点で得られたガスセンサの応答値を補間して等高線図を描いている点にも注意が必要である。2 mおきに設定した測定点の間にガス源が置かれているが、風向によってはプルームがガス源に近いセンサの間を通り抜けてしまい、風下側に離れたセンサで大きな応答が観測されることがある。ガス源の位置を正確に突き止めるためには、工夫が必要となる。

次回に続く-

参考文献
1) F. Röck, N. Barsan, and U. Weimar, Chem. Rev., 108, 705–725 (2008)
2) H. Ishida, Y. Wada, and H. Matsukura, IEEE Sensors J., 12, 3163–3173 (2012)
3) R. Deveza, D. Thiel, A. Russell, and A. Mackay-Sim, Int. J. Robot. Res., 13, 232–239 (1994)
4) Y. Wada, M. Trincavelli, Y. Fukazawa, and H. Ishida, Proc. Int. Conf. Adv. Mechatronics, 183–188 (2010)
5) M. Trincavelli, M. Reggente, S. Coradeschi, A. Loutfi, H. Ishida, and A. J. Lilienthal, Proc. IEEE/RSJ Int. Conf. Intell. Robots and Syst, 2210–2215 (2008)

【著者略歴】
石田 寛(いしだ ひろし)
東京農工大学/生物システム応用科学府
教授 博士(工学)

■略歴
1997年 東京工業大学大学院理工学研究科 博士後期課程修了
   同年 東京工業大学 工学部電気・電子工学科 助手
1998年 ジョージア工科大学 ポスドク
2000年 東京工業大学 大学院理工学研究科電子物理工学専攻 助手
2004年 東京農工大学 大学院工学教育部機械システム工学専攻 助教授
2017年 東京農工大学 大学院生物システム応用科学府 教授 現在に至る