おかしなセンサ開発に始まり今に至る
From Development of Strange Sensor to Now

都甲 潔
九州大学 高等研究院
特別主幹教授
都甲 潔

1.はじめに

 センサイト協議会事務局から「センサイト談話室」執筆の依頼がありました.啓発的な記事を掲載,広く計測・センサ・AI等の関係経験者・技術者・事業家に役立つ内容で,計測への思いを書いて欲しいとのこと.なるほど,とうとう私もセンサや計測の専門家の仲間入りしたのか,と感無量です.
 ここでは,味覚センサ開発談,ものを測るセンサが人を知る術になること,そしてアフターコロナの世界を眺めてみたいと思います.所詮,人間というのは自分で経験したことしか真摯に語ることができないものですから,まずは私の味覚センサ開発の歴史から話をスタートさせたいと思います.「啓発」というより「思い」を語ったものとお考え下さい.これから新しいことにチャレンジしようと思う方の参考になれば著者望外の喜びです.

2.味覚センサ開発を始めた動機

 学生時代から文化人類学などに興味があった私が,工学部に所属している事実を何とか活用できないかと思い悩み生み出したのが,生理学や栄養学の「味覚」と工学の「センサ」を合体させた「味覚センサ」でした.また,その当時,研究室で進めていた自己組織化(非線型非平衡)も研究テーマに合わせて取り込みたいと思いました.1985年頃,学位を取って直ぐの30数歳のことです.
 その際,味覚では,化学物質を対象とするミクロの世界,そして受容・伝達メカニズムに関する生化学や神経科学,生まれ育った環境や伝統が食文化を決めるといった極めてマクロかつグローバルな世界といった幾つもの切り口があります.そして,センサを研究開発されている方ならご存知でしょうが,センサは電気や機械工学といった種々の学問の知見を採り入れて1つのデバイスとして完成します.結果,「味覚センサ」をキーワードとすると,工学という出口指向の学問に加え,「人は何ゆえこういった嗜好を持つのか」「人と動物はどう違い,何処が同じなのか」「人(ヒト)とは何ぞや」等々,考え始めるととても楽しいわけです.
 このように味覚もセンサも双方とも特定の分野に限定されていません.重箱の隅ではないのです.幾つもの重箱を重ね合わせたようなものです.だからこそ面白いとも言えますし,だからこそ論文発表先や科研費申請先を選ぶのに苦労するという面もあります.
 論文では,Sensors and Actuators, Sensors and Materials, Sensors, IEEE Sensors Journal, 電気学会E部門誌,Biosensors and Bioelectronics, 最近始まったChemosensors等,幾つもありそうです.科研費申請だと,大区分Cの中区分「電気電子工学」の計測工学関連や電気電子材料工学関連が,材料に着目すると大区分Dの中区分「ナノマイクロ科学」や「応用物理物性」とでもなるのでしょう.

3.味を測るとは

 こうして味覚センサの研究開発を始めて10年近く経った1990年半ばでも,味覚センサは市民権を得ていませんでした.それこそ研究予算獲得のためのヒアリングでは「イオンセンサのようなものを複数準備して統計処理すれば味は測れるのではないか」「味なんぞ自分の舌で分かる」「人によって味の感じ方は違いますよね」「グルタミン酸の味とイノシン酸の味の区別はつくか」等々,どう答えて良いものか,散々な結果でした.
 順に回答を言いますと,イオンセンサはもちろんイオンしか測れないので,疎水性物質である苦味は測れませんし,各々の味の間には互いに味を強め合ったり弱め合ったりする相互作用があるので,後からの統計処理では無理.自分の舌で味が分かる(誰でも分かる!)のは結構なのですが,それは主観であり客観ではありません.センサは客観的な物差しを提供するものです.人によって味の感じ方が違うからこそ,共通の尺度を創ろうと言っているのです.グルタミン酸の味とイノシン酸の味はどちらも「うま味」に属するという意味では区別する必要はありません.もちろんさらに進んだ研究や識別ということですと話は別ですが.
 人間というのは,よほどの天才でもない限り,ものごとを先天的に把握しているものでもなく,時間をかけ学んで成長するものです.上記回答は今の私なら可能です.でも30年前の私には無理でした.友達や研究室の教え子から「この研究室はあと何年かしたら消滅していますよね」などと言われる始末で,当時の状況を懐かしくかつ感慨深く想い出します.結局,仕事というのは,生きるためには,強い意志とそれを実行し続ける勇気を持つことが肝要なのかもしれません.
 確かに味覚センサというのは「おかしなセンサ」です.だって,人の感じる感覚を数値化するのですから.本来「計測」というのは人と無関係なところに位置するもの,つまり属性を数値化するものであるはずです.
 そういった中1987年から共同研究をスタートさせたアンリツ(株)の協力もあり,論文だけはコンスタントに発表し,研究開発は一歩一歩進みました.また1991年に講談社から発刊した一般本『美味しさを測る』が意外と受けて,多くの方が製品の完成を強く要求した結果,1993年に味覚センサ初号機も試験販売となりました.数多くの食品メーカーとの共同研究が始まったのもこの頃です.

4.二つのベンチャー企業の設立

 このような共同研究を通じ,2002年に(株)インテリジェントセンサーテクノロジー(略称,インセント),続いて2004年に(株)味香り戦略研究所(略称,味研)が設立されるに至りました.インセントは味覚センサを開発・製造・販売し,味研は味覚センサを活用し商品開発等のサービスを提供する会社です.現在,彼らの出資による寄附講座が九州大学に設立されています.
 味覚センサが正式に認可されたと感じたのは2006年の文部科学大臣表彰科学技術賞でした.それまで無冠だっただけに,やっと努力が実った,と思いました.もちろん,この努力は皆の協力あってのことで,特にインセントの池崎秀和社長とは今でも1日に1回はメールや電話をする仲です.戦友であり同志ですね.味研の小柳道啓社長とも頻繁にWeb会議を行っています.

5.人を知る

 さて,以上のような経緯で,現在600台以上もの味覚センサが世界の食品や医薬品メーカーで活躍しています.言うまでもなく,味覚センサは食品の属性である味を数値化・可視化できます.それでは,その結果を利用して,個人の味嗜好を予測することができるでしょうか.答えはイエスです.質問紙(スマホ対応)に質問項目を15問用意します.この項目は,予め味覚センサで食品を測り,その応答パターンから2項比較として選ばれたものです.例えば,ブラックコーヒーとミルク入りコーヒーとでは苦味の強さが大きく異なるわけで,その場合の質問項目は「普段のコーヒーの飲み方はどちらですか? ブラック/それ以外」となります.このように味覚センサで食品の味の特徴を把握し15問の設問を用意します.
 その15問にスマホで回答させます.その設問項目の回答に予め点数を振り当てておき,結果を集計すると,その個人の「嗜好ベクトル」とでも言うものを得ることができます.例えば(酸味,甘味,苦味,うま味,塩味)=(3,5,1,4,2)といった具合です.調査した人数に応じて人数分の嗜好ベクトルが得られることになります.続いてこれをクラスター解析すれば,幾つかの特徴的かつ代表的嗜好ベクトル(嗜好パターン)を得ることができます.幾つの嗜好パターンに収めるかは任意性がありますが,典型的には20数パターンという結果となりました.例えば,苦味を好むパターンは中高年男性に特徴的で,うま味と甘味を好むパターンは若い世代や女性に比較的多く発現するパターンであることが判明しました.
 そして,これらの結果から,幾つかの食品に対し「どれが好きか」の予測を立て,調査を行いました.結果,約80%の正答率を得ることができたのです.この事実は,味覚センサを利用することで,個人の味嗜好を予測できることを示唆します.味覚センサは「モノを測る」装置でしたが,それを利用することで「ヒトを知る」ことができるのです.

6.アフターコロナでは

 コロナ禍でオンラインでの会議が随分と増えました.私も九州に住んでいるため以前は東京や大阪への出張が週1ペースでしたが,いまは全てWeb会議です.「会いましょうかね」がWeb会議を意味することが一般となりました.結局,出張に行かない分,毎日のように会議が入ってしまいました.
 さて,このような世の中を便利と考える方も多々おられるでしょう.実際,在宅勤務も当たり前のようになってきています.こういった状況を考えると,密を避けるため,多様な暮らし方を可能とするために,工場をはじめとする現場の製品管理を遠隔で行おうという試みが現れるのは当然のことでしょう.既に視覚と聴覚情報は遠方へ伝達可能です.残る科学技術は触覚,味覚,嗅覚の伝達・再現となるでしょう.味覚センサは既に実用化され,嗅覚センサは種々存在し用途や対象を限定すれば使えそうです.触覚にはその目的から言って幾つかの開発レベルが要求されそうですが,これも用途と対象を絞ればできそうです.いずれ味覚や嗅覚を伝送する時代が来ると多くの研究者が語ることです.確かにその通りです.
 視覚と聴覚を再現する技術がテレビです.白黒テレビが1950年代,カラーテレビが1960年から,大型化と薄型化が1990年から,デジタル化が2000年で本格化が2011年から,3Dや4Kも2010年から始まっています.テレビは対象を演出する近似デバイスです.どんどん近似の度合いが上がっています.自然や人を検知し,再現する装置やセンサは全て自然界の近似を行います.五感に係るデバイスもそうです.
 アフターコロナでは,世界の近似技術の開発がますます必要となることでしょう.センサはその近似を可能とする出発点に他なりません.さて,私たちはどこまで近似レベルを上げることができるのでしょうか.このような努力が多くの人を幸せにすることを切に願ってやみません.



【著者紹介】
都甲 潔(とこう きよし)
九州大学 高等研究院 特別主幹教授
九州大学 五感応用デバイス研究開発センター 特任教授

■略歴
昭和50年3月 九州大学工学部電子工学科卒業
昭和55年3月  〃  大学院博士課程修了
同  年4月 九州大学工学部電子工学科助手
平成2年7月 九州大学工学部電子工学科(電子材料物性講座)助教授
平成9年4月 九州大学大学院システム情報科学研究院 教授
平成20年10月~23年3月 同研究院 研究院長
平成21年5月~30年3月 同研究院 主幹教授
平成25年11月~30年3月 九州大学味覚・嗅覚センサ研究開発センター長
平成30年4月~現在 九州大学高等研究院 特別主幹教授
平成30年4月~現在 九州大学味覚・嗅覚センサ研究開発センター (現 五感応用デバイス研究開発センター)特任教授

■主な受賞
・第27回電気学会業績賞,社団法人 電気学会,2018.04.
・第17回山崎貞一賞,材料科学技術振興団,2017.10.
・第17回日本応用物理学会業績賞,社団法人 応用物理学会,2017.03.
・第16回日本味と匂学会賞,日本味と匂学会,2015.09.
・平成25年度春の褒章/紫綬褒章,内閣府,2013.05.
・平成22年度飯島食品科学賞/技術賞,財団法人 飯島記念食品科学振興財団,2011.04.
・第1回立石賞/功績賞,財団法人 立石科学技術振興財団,2010.05.
・第34回井上春成賞,独立行政法人 科学技術振興機構,2009.07.
・第13回安藤百福賞 優秀賞,財団法人 安藤スポーツ・食文化振興財団,2009.03.
・第20回産学官連携特別賞,財団法人 りそな中小企業振興財団,2008.03.
・平成19年度消防防災機器の開発等消防庁長官表彰 奨励賞,総務省消防庁,2008.02.
・日本感性工学会出版賞,日本感性工学会,2007.08.
・文部科学大臣表彰 科学技術賞 開発部門,文部科学省,2006.04.