新型コロナウイルスを家庭で簡便に測定(2)

松本 和彦(まつもと かずひこ)
大阪大学産業科学研究所
名誉教授/特任教授
松本 和彦

 ついで、走査型電子顕微鏡(SEM)を用いてグラフェン上のウイルスを観察する手法を開発した。通常、グラフェン上のウイルスをSEMで観察すると黒いシミのようにしか観察できず、明瞭にウイルスと判定することは困難であった。本研究で、グラフェン上のウイルスを化学薬品を用いて固定化し、金属薄膜をコートすることにより、明瞭にウイルスを観察することが可能になった。この手法を抗体を修飾したFETと修飾しないFETに適用しそれぞれのウイルス数をカウントしたものを図9に示す。FETアレイの左側は抗体を修飾した領域であり、ここではウイルスの結合数は21から51と分布しており、その平均数は37である。またFETアレイの右側は抗体を修飾していな領域であり、ウイルスの結合数は1から9と分布しており、その平均数は4である。従って、抗体のある領域では抗体のない領域と比較して約10倍のウイルスが結合していることが判明した。これにより抗体に選択的に結合しているウイルスが多数存在していることが確認できた。

図9. 新型コロナウイルス導入による抗体修飾したFETとしないFETの結合したウイルス数。
図9. 新型コロナウイルス導入による抗体修飾したFETとしないFETの結合したウイルス数。

図10. 新型コロナウイルス導入による抗体修飾したFETとしないFETの結合ウイルス数とディラックポイントの変化分の関係図10. 新型コロナウイルス導入による抗体修飾したFETとしないFETの結合ウイルス数とディラックポイントの変化分の関係

図10に、グラフェンFET上に結合したウイルス数とディラックポイントの値の関係を示す。図10より、抗体の修飾されていない領域のウイルス数は非常に少ないとともに、ディラックポイントの変化量も極めて小さい。これに対して、抗体の修飾された領域では、結合ウイルス数が多いとともに、そのディラックポイントの変化量も極めて大きい。これはウイルスの電荷がディラックポイントの変化に寄与していることを意味している。この結果は、本グラエフェンFETによる新型コロナウイルスの検出がウイルスの電荷を正確に検知していること示している。

◇唾液からの簡便なウイルス検出システムの開発

 新型コロナ患者の唾液から、新型コロナウイルスを検出する実験を行った。唾液の洗浄に関してマイクロ流路にPBSを流すだけで簡単に洗浄できることが判明し、実験が極めて簡単になることが判明した。患者は通常の抗原検査では陰性であり、PCRでは陽性であるとの判定結果であり、グラフェンFETバイオセンサの患者としては最適なケースである。患者の唾液をマイクロ流路つきポータブル測定装置に導入し、電気変化を検出した。唾液の洗浄はマイクロ流路を用いて0.01xPBSを導入することにより行った。グラフェンFETアレイを3分割して1)新型コロナウイルスのフル抗体、2)新型コロナウイルスのF(ab’)2抗体、3)参照とするH9N2インフルエンザ抗体を修飾する。

図11. 新型コロナウイルス感染患者の健康時と罹患時の唾液導入によるディラックポイントの変化。
図11. 新型コロナウイルス感染患者の健康時と罹患時の唾液導入によるディラックポイントの変化。

 図11に示す様に、まず健康時(新型コロナウイルスを含まない)唾液を2回導入して洗浄し、その唾液導入、洗浄の影響によるディラックポイントの変化を調べたが、ほぼ無視できるほど小さな変化であった。ついで、新型コロナ感染時の患者唾液を導入して10分間待機し、その後0.01xPBSを導入して唾液を洗浄し、同時にディラックポイントの変化を測定した。その結果、参照FETのインフルエンザ抗体を修飾したグラフェンFET(空色のライン)ではウイルスの導入前後では図11に示すようにディラックポイントの変化は殆ど見られなかった。これに対して新型コロナウイルスのF(ab’)2 抗体の場合(緑色のライン)、ウイルス導入前後で〜20mVのディラックポイントの変化が見られた。これは新型コロナウイルスが新型コロナウイルスのF(ab’)2 抗体に結合したことによると考えられる。ただ現時点で不明な点は、新型コロナウイルスのフル抗体(赤色のライン)にウイルスを導入してもディラックポイントの変化がほとんど見られなかったことである。この点については今後の検討を要する。

図12. 新型コロナウイルス感染患者の罹患時の唾液を導入したグラフェンFET上のSEM写真。
図12. 新型コロナウイルス感染患者の罹患時の唾液を導入したグラフェンFET上のSEM写真。

 この新型コロナ患者の唾液を導入したグラフェンFET上のウイルスをSEMにより観察したものを図12に示す。図12(a)はグラフェンチャネル全体の10mx100mのSEM写真である。非常に奇妙な現象は、唾液中に含まれるウイルスが、チャネル全体に一様に分布して結合するのではなく、数個の黄色の丸印で囲まれた領域にコロニーを形成して結合する。その黄色の丸の領域を拡大したものを図12(b)に示す。ウイルスが凝集して結合していることがわかる。通常、実験室系で行うPBS中にウイルスを導入した場合は、図12(c)に示す様に一様にウイルスはグラフェン上に結合する。実際の感染患者の唾液からのウイルスはコロニーを形成して結合するという事実は極めて目新しく興味深いものである。この事実は実験室系と生態系とは微妙な差異があり、この差異を考慮に入れて研究展開を図ることが重要であると考えられる。なぜコロニーを形成するかは現時点では未解明である。
 以上の結果より、マイクロ流路を用いたポータブル計測機器で患者の唾液からウイルスを検出できることがわかり、簡便に家庭でのウイルス検出を可能とした。





【著者紹介】
松本 和彦(まつもと かずひこ)
大阪大学産業科学研究所 名誉教授、特任教授

■略歴

  • 昭56.3東京工業大学大学院博士課程電子物理工学専攻修了 工学博士
  • 昭56.4電子技術総合研究所
    電子デバイス部 固体デバイス研究室 入所
  • 昭63〜平2スタンフォード大学電気工学科 客員研究員
  • 平 5.7電子デバイス部 微構造エレクトロニクス研究室 室長
  • 平13.4産業技術総合研究所 総括研究員
  • 平15.3大阪大学 産業科学研究所 教授
  • 平24.4〜26.3大阪大学 産業科学研究所副所長
  • 平25.10〜大阪大学COI研究推進機構 副機構長・研究統括リーダー
  • 平30.3大阪大学定年退官、名誉教授、特任教授

■受賞

  • (1)平成 8年度科学技術庁長官賞 研究功績者表彰
  • (2)平成 8年度国際固体素子材料コンファレンス 最優秀論文賞
  • (3)平成10年度第30回 市村学術賞 功績賞
  • (4)平成10年度第57回 科学技術庁 注目発明選定
  • (5)平成11年度第12回 工業技術院長賞
  • (6)平成13年度国際固体素子材料コンファレンス 最優秀論文賞
  • (7)平成20年度応用物理学会フェロー表彰
  • (8)平成23年Micro Nano Process Conference 2010 Award Outstanding Paper
  • (9)平成24年Micro Nano Process Conference 2011 Award Outstanding Paper
  • (10)平成25年, 26年, 27年 大阪大学総長表彰