水晶振動子をトランスデューサとするe-Nose型ニオイセンサ(1)

橋詰 賢一(はしづめ けんいち)
(株)アロマビット
最高技術責任者
橋詰 賢一

1 はじめに

人の五感のうち視覚はカメラ、触覚はタッチセンサ、聴覚はマイクロホンというように物理的な波動や信号を使って感知するものについては既に電子化・デジタル化され、インターネット空間を使って伝達することも容易に行えるようになっている。
一方、嗅覚と味覚に関してはそれぞれ生物として根源的に重要な感覚であるにも関わらず化学的な情報をとらえる必要があることから電子化・デジタル化することが困難とされている。特に嗅覚に関しては味覚に比べそのオノマトペも貧弱であることから、自分の感じている香りを他人に伝えること自体難しく、1960年代から人の嗅覚を電子的な手法で測定できる技術の研究が連綿と続けられてきた。
近年、様々な分野において人の五感をデジタル化することでより安心で安全な省力化や環境に優しい機械制御などのニーズが高まっており、人の鼻のしくみを模倣したe-Noseと呼ばれるタイプのニオイセンサが実用化され始めている。

2 e-Nose型ニオイセンサとは

2.1 歴史

1960年代初頭、人が匂いを感知する仕組みとして様々なモデルが提唱されたが、その中でも化学物質の物理的な構造に対して親和性を持つ吸着サイトのようなものが人の鼻に存在し、それぞれのサイトごとに異なる特徴を持つ化学物質の構造部が吸着することで匂いに含まれている化学物質の組み合わせに応じた応答パターンを与えるという一種の鍵と鍵穴モデルが提唱された。
しかしながらその後20年間ほどはこうした電子鼻は研究者の関心を引くことは少なく、技術の進展は半導体をトランスデューサとした電子鼻の開発に成功した1982年のPersaud and Dodd 1)、 特性の異なる複数の酸化物半導体センサ素子をアレイ化して電子鼻を構成したIkegamiら2) の成功により再び研究者らの関心を引くこととなった。
この時期にこうした電子鼻をe-Noseと表現されるようになり、1990年にはNATOのAdvanced Research Workshopにてe-Noseを取り上げた特別セッションが開催されている。
このときにはそれまで人工鼻や電子鼻として表現されていたニオイセンサにたいして、e-Noseという統一した定義が与えられた。
図-1にはこのときに定義されたe-Noseの構成を示す。匂いを構成する分子に対して応答特性の異なる感応膜を装備した複数のトランスデューサを並列に処理する構造で匂いをパターンとして捉えるセンサがe-Noseと定義された。

図-1 e-Noseの定義と人の鼻との比較
図-1 e-Noseの定義と人の鼻との比較

その後、2004年にノーベル生理学賞を受賞したAxelとBuckにより、哺乳類の鼻には遺伝情報上にクラスタリングされることで複数の異なる化学物質親和性を持つレセプター部位が空間的に固定されて存在していることが報告され、人工的に化学物質親和性の異なる感応膜を複数のトランスデューサ場に形成した並列型センサシステムが機能的には哺乳類の鼻を模倣していると考えて良いことが裏付けられている。

2.2 特徴

e-Nose型ニオイセンサは前述のように親和性の異なる感応膜によるアレイ型構造を取ることにより、匂いを定量的な分析ではなく匂いを構成する化学物質のポートフォリオを鳥瞰するようなパターンとして捉えることを特徴とするセンサである。
この親和性は図-1の感応膜により制御されるが、親和性の選択性を高くすればするほど特定物質のみへの応答が強くなることから、選択性が高い感応膜だけからなるe-Noseセンサではカバーできる匂いの幅は狭くなる。一方で、選択性を広く取った感応膜の場合は多くの匂いを測定可能になるものの、匂い同士の境界線が曖昧になり匂いを構成する個別の物質の判別が難しくなる。
哺乳類の場合こうした親和性の選択性の広い部分と、ある特定の化学物質に特異的に応答するような狭い選択性を有する部分の両方を持つことで、生存に直接関わりのある匂いに対しては敏感に応答することができる嗅覚システムを持っている。(図-2)

図-2 哺乳類の匂いパターン化のイメージ 3)
図-2 哺乳類の匂いパターン化のイメージ 3)

3 e-Nose型ニオイセンサに用いられるトランスデューサ

e-Noseの性能において前述のように感応膜の設計と組み合わせが匂いの判別に大きな影響を与えることを説明した。一方、電子的なセンサとしての性能、大きさや安定性、感度に大きな影響を持っているのがトランスデューサの部分である。
表1にはe-Noseに利用される代表的なトランスデューサの一例を示した。

表1 e―Noseに用いられるトランスデューサの例
トランスデューサ 原理 特徴 感度 参考文献
QCM 表面に吸着した物質の質量による共振周波数のシフトを読み取る 基本的にはどのような感応膜でも利用可能。
高感度
吸着物質を選ばない
1ngの重量変化の検知が可能
アロマビット製QCMの場合0.1ppmNH3レベル
Nagle et al. (1998) and Kim and Choi (2002)
FET ニオイ物質の吸着に伴うFET上のスレッシュホールド電位の変化を検知する CMOS化により超小型化が可能。
感度の良い感応膜の設計技術の難易度が高い。
0.5ppm (例) Covington et al. (2001)
Kalman et al. (2000)
K Sawada (2017)
酸化物半導体 高温に加熱した酸化物半導体上での有機物の酸化に伴い生じるホールに由来する電気伝導度を測定する 構造が簡単
半導体結晶構造欠陥が進行するため短寿命
5-500ppm Nagle et al. (1998)
MEMSセンサ カンチレバー式やトランポリン構造を取ったシリコンMEMSにおいて共振周波数変化または歪み抵抗値を読み取り検知する 圧電素子を用いた振動MEMSでは膜の選択の自由度が高い。
歪み抵抗型MEMSの場合は膜設計に工夫が必要
1-100ppm  
光学式センサ SAW型の場合、名のメタル表面に発生する表面プラズモンの屈折率変化を読み取る 超高感度
高感度化のためには大型化が避けられない
Sub ppbレベル  

これらのセンサにおいて、水晶振動子を用いたセンサ(QCM)は人工水晶をX軸に平行でZ軸から35°15′の角度で切り出されたATカット水晶と言われるものを利用するのが一般的である。この水晶に電界を印加すると安定した高周波振動が得られるが、この振動は発振電極の表面になにかの物質が付着すると、その重量分だけエネルギーの損失が起き共振周波数の低下が起きる。
このため水晶振動子の表面に物質選択性を持つ感応膜を形成することで当該物質を検出するセンサを構成することができる。これを利用して、例えば抗体のような強い選択性を有する物質を表面に形成して特定の抗原を検出するようなセンサは旧来より使われている。これにたいして特定物質に対する選択性をもつ感応膜のかわりに、分子に対する親和性例えば親水性-疎水性、アルキル基の長さや塩基性-酸性などを制御した複数の感応膜をそれぞれ形成させ、これを並列に使用することによって図-1で定義されるe-Noseを構成することができる。
中本らはこのような水晶振動子をトランスデューサとし、それぞれに親和性の異なる複数種類の感応膜を構成し、ニューラルネットワークにより匂いパターンを分析するという水晶振動子型ニオイセンサの開発に成功している。4)

FETをトランスデューサとするセンサはゲート上に形成される感応膜にニオイ分子が吸着したときに起こる膜状の電荷変異やその他の電気的な変化を電圧閾値の変化として読み取る原理である。このFETをCMOSとして形成することで高密度にトランジスタアレイを形成したトランスデューサとして利用することができる。現在では1ピクセルあたり5μmレベルの高精細化が可能となっており、将来ニオイセンサを超小型化する際には他の追随を許さないものである。一方、このセンサに用いる感応膜は分子親和性を制御するアンテナ部と吸着によって膜状に電気・電子的な変異を誘発させる分子内トランスデューサ部の2つが必要であり、膜材料設計に高度な技術力が必要である。

酸化物半導体は構成が簡単で単素子であっても分子種による熱抵抗の変化の相違をパターン化することで匂い分析が可能とされるものの、同じ還元性のレベルの物質同士の峻別が苦手であること、半導体自体を500℃レベルの高温に加熱して使用する必要があることから高消費電力であること、使用を繰り返すと酸化物半導体の構造欠陥が拡大し使えなくなってしまうなどの問題がある。

また、MEMS型では圧電MEMSを用い、その表面に構成する感応膜へのニオイ分子の吸着による共振周波数変化を見ることでパターン化する原理のものと、歪抵抗変化を観測するひずみゲージ型MEMSをトランスデューサとするものが知られている。これらはいずれも通常のMEMS製造プロセスで製造可能なために素子の大きさは300〜500μm程度と水晶振動子に比べるとやや小型化が可能である点は優位な点である。
さらに前者は原理的には水晶振動子と同じで、基本的にはどのような膜材料も感応膜として利用できるために様々なタイプの匂いに対してまんべんなく応答しやすいe-Noseとすることができる。また、膜材料に表面の物理吸着が優勢なものだけを選択することで吸脱着の速度も早いものとすることも可能である。しかしながら共振周波数が水晶振動子に比べると3〜4桁低いために、検知のダイナミックレンジが低くなりがちであるという欠点を持っている。
一方、ひずみゲージ型MEMSの場合はこれとは少し異なり、感応膜内部にニオイ分子が含浸することで膜が膨張して発生する歪を検知する仕組みとなっている。そのためニオイ分子は表面に吸着するのみではなく膜内に浸透させる必要があるために脱着に時間がかかってしまうという点を解決していく必要がある。

光学式センサとして代表的なものはナノメタルに光を照射するとその表面に生成する表面プラズモン共鳴という現象を応用したSPRセンサと呼ばれるものがある。このセンサはナノメタル表面の光の屈折が分子の吸着によって起こる変化を光学系を構成して読み取るものであり、照射する単色光の強度を強くし、光路長を長く取ることでpptレベルの超高感度センサとすることも可能であるが、そのためには長い光路長を確保するために装置全体を大きくする必要がある。



次回に続く-



参考文献

  1. Krishna Persaud & George Dodd, Nature volume 299, pages 352–355 (1982)
  2. M. Kaneyasu; A. Ikegami; H. Arima; S. Iwanaga, IEEE Transactions on Components, Hybrids, and Manufacturing Technology, vol. 10, no. 2, pp. 267-273, June 1987
  3. Frontiers in Ecology and Evolution | www.frontiersin.org 1 May 2015 | Volume 3 | Article 53
  4. T.Nakamoto and T.Moriizumi,”Odor sensorus- ing quartz-resonator array and neural-network pattern recognition” Proc.IEEE Ultrasonics Symp.,Chicago,IL, U.S.A.,613-616(1988)


【著者紹介】
橋詰 賢一(はしづめ けんいち)
株式会社アロマビット 最高技術責任者

■略歴

  • 1983年日本カーリット株式会社中央研究所入社 主として電子材料・機能性化学品の開発に従事
  • 1991年ERATO吉村π電子物質プロジェクト研究員 ファインカーボン・テーラードカーボンの基礎研究に従事
  • 1999年ノキア・ジャパン株式会社ノキアリサーチセンター入社 リサーチマネージャおよびプリンシパル・サイエンティストとしてプリンタブルエレクトロニクス、バイオマテリアルおよび5感通信技術の研究を行った
  • 2008年Invention Development Fundにて材料技術・環境技術・エネルギー技術担当ディレクターとして10年先を見越した技術開発テーマの策定と知財化を行った
  • 2014年株式会社アロマビット最高技術責任者