バイタル・サイン・モニタリング向けリファレンス・デザイン
(The Reference Designs for Vital Sign Monitoring)(1)

井口 璃音(いぐち りおん)
アナログ・デバイセズ(株)
デジタルインフラストラクチャー
ビジネスグループ
井口 璃音

1.バイタルサイン(Vital Sign)のモニタリング

 近年の健康に関する意識の高まりを受けて、日常の健康状態や運動量などをモニタリングする機能は、携帯電話や腕時計などのウェアラブルなスマート・デバイスに組み込まれるようになった。それらは疾病の治療を行う以外にも、良好な健康状態にある人も含め広く利用できるようになっている。その背景には、センサそのものの精度向上に関わるエレクトロニクスの継続的な進歩はもちろん、クラウド・コンピューティング、AI(Artificial Intelligence)、IoT(Internet of Things)、5Gなどデータ収集と解析を支える技術の発展がある。

 人々の健康状態(生命状態)を知る為の指標はバイタル・サイン(Vital Sign)と総称され、医療や介護の現場においては「呼吸数」「体温」「脈拍」「血圧」の4つが主要なものとして用いられている。加えて、「意識レベル」「尿量」「酸素飽和度(SpO2)」も扱われる場合がある。
特に脈拍は、様々な疾病や日々の健康状態を測る指標として有用であると知られるバイタル・サインのひとつである。なおかつ、その測定には非侵襲な光学的手法を用いることが可能である為、脈拍のモニタリング機能はウェアラブル機器に搭載されやすい特徴がある。

 次項では、バイタル・サイン・モニタリングの代表的な一例として脈拍測定を取り上げ、その信号処理の流れと心拍検出プログラムについて説明する。

2.脈拍のモニタリング

2.1 光電式容積脈波記録法(Photoplethysmography, PPG)の概要

 脈拍を電子的に測定する手法として、心電波形の計測や心音の計測など様々なものが知られているが、その中でも今日ウェアラブル機器における脈拍測定に広く用いられている手法が「光電式容積脈波記録法(Photoplethysmography, PPG)」である。この手法では、体表近くの血管にLED光を照射し、その透過量又は反射量をフォトダイオードで計測することで、血管の容積変化を非侵襲で検知することができ、その変動から脈拍を求めることができる。測定部位について比較的柔軟に対応できるのもこの手法の利点であり、指先や耳たぶなど体表面から光学的に血管を確認しやすい部位はもちろん、手首で計測を行う機器も既に実用化されている。

図1 光電式容積脈波記録法(Photoplethysmography, PPG)の概略図
図1 光電式容積脈波記録法(Photoplethysmography, PPG)の概略図

2.2 PPGの信号処理回路

 以下にPPGを実現する標準的な回路を示す。
 光信号を生成するための光源として、通常LEDが用いられる。光源の波長としては600 – 900 nmの範囲から1つ、または測定精度向上の為に複数が選択されるが、よく用いられるのは、人体の組織における吸光度が高いことが知られる緑色 (495 – 570 nm)である。また緑色は、特にウェアラブル機器においては重要な課題となる、モーション・アーティファクト(MA, 被験者の体動により生じる検査上のノイズ)の除去率が高い1)ことも知られている。
 光源から生体を透過又は反射した信号は、フォトダイオードによって光信号から電気信号(電流)に変換される。さらに電流-電圧変換、周囲光の影響を除去する為のバンドパス・フィルタ(BPF)によるフィルタリング、増幅が行われた後、このPPG信号から脈拍を算出するデジタル処理の為にA/D変換される。

図2 PPG測定用の標準的な回路
図2 PPG測定用の標準的な回路

2.3 脈拍数算出アルゴリズム

 PPG信号からは、脈拍のみならず、動脈圧、血管硬化指数、脈波伝播時間、脈波伝播速度、心拍出量、動脈コンプライアンス、末梢抵抗といった心臓血管系の関連情報を得ることができる2)3)4)が、そのためには波形から、収縮期ピーク値、心臓から大動脈への血液の送出によるオンセット、大動脈弁の閉鎖によるディクロティック・ノッチなど、心臓の働きを観測する為に重要なポイントを正確に抽出するアルゴリズムが必要である。
 本稿で紹介する脈拍数算出アルゴリズムは、弊社アナログ・デバイセズが手首のPPG信号用に提案するものであり、本来、動脈圧波形用に提案された予測法を利用した信頼性の高いピークおよびオンセット検出アルゴリズムである5)。これは、「前処理」「補間」「予測」「信号品質評価」「心拍抽出」の各モジュールにより構成される。

図3 脈拍数算出アルゴリズムの流れ
図3 脈拍数算出アルゴリズムの流れ

(1) 前処理
 PPG信号は、血液還流の低下やMAなどの影響を受けやすいことが知られている6)。これら要素の影響を最小限に抑える為、解析の前処理として、バンドパス・フィルタ処理や信号レベルを制限する自動ゲイン制御、信号の平滑化とベースライン変動の除去を行う必要がある。
 バンドパス・フィルタでは、PPG信号の高周波成分(外乱光や電源など)と、毛細血管密度や静脈血量の変化、温度変動のような低周波成分の両方を除去する。フィルタのカットオフ周波数は0.4Hzと4Hzに設定する。これは、脈拍の基本周波数範囲が0.4Hzから3Hzであり、心拍時間を強調する高調波を含める為にそれよりわずかに高い範囲で設定を行うことによる。
 フィルタ処理した信号のスパイクは、メジアン・フィルタを使って除去され、後段で信号振幅から選択するべきピークを検証する為に自動ゲイン制御が信号レベルを正負電圧に制限する。元のPPG信号は心拍以外の要因によるベースライン変動も含まれているが、特に心拍抽出を行う場合にはこれを取り除く必要がある。よって、ベースライン変動ノイズを除去する為にローパス有限インパルス応答(FIR)フィルタを使用し、取得信号を平滑化する。

(2)補間・予測
 補間モジュールでは、あるフレーム内のn個のデータ点から心拍間隔値を算出しmsec単位の高分解能な心拍間隔を取り出す。予測モジュールはその出力とPPG信号波形の1次導関数から、極大点前のゼロクロス点と対応する点をオンセット、その極大点後のゼロクロス点に対応する点を収縮期ピークとしてそれらを抽出する。この処理に用いられる予測モデルは、”An Adaptive Delineator for Photoplethysmography Waveforms7)(光電式容積脈波記録波形用の適応型予測モデル)および ”On an Automatic Delineator for Arterial Blood Pressure Waveforms8)(動脈血圧波形用の自動予測モデルについて)にそれぞれ示されるものと理論的には同じである。

(3) 信号品質評価・心拍抽出
 信号品質評価モジュールはPPG信号の品質を示す指標を算出し、それに基づき心拍抽出モジュールは抽出されたオンセットと収縮期ピークを信頼できる値としてレポートするかどうかを判断する。この指標は、”A Smarter Way to Find Pitch9)(よりスマートなピッチ検出法)の中で提案された手法を用いて、正規化された二乗誤差関数(自己相関関数の一形態)からPPG信号の周期性の程度を割り出すことで得られる。

図4 PPG信号とその処理過程
図4 PPG信号とその処理過程
フィルタリング前のPPG信号(左上)とフィルタリング後のPPG信号(右上)、
自動ゲイン制御及びFIRフィルタによる平滑化後の信号(左下)、
フィルタリング後のPPG信号とその1次導関数をプロット(右下)

次回に続く-



参考文献

  1. Jihyoung Lee, Kenta Matsumura, Ken-Ichi Yamakoshi, Peter Rolfe, Shinobu Tanaka, Takehiro Yamakoshi ”Comparison Between Red Green and Blue Light Reflection Photoplethysmography for Heart Rate Monitoring During Motion” 2013 35th Annual International Conference of the IEEE Engineering in Medicine and Biology Society (EMBC)、2013年7月
  2. Justine I. Davies and Allan D. Struthers “Beyond Blood Pressure: Pulse Wave Analysis–a Better Way of Assessing Cardiovascular Risk?” Future Medicine, 2005.
  3. Arthur de Sa Ferreira, José Barbosa Filho, Ivan Cordovil, and Marcio Nogueira de Souza “Three-Section Transmission-Line Arterial Model for Noninvasive Assessment of Vascular Remodeling in Primary Hypertension” Biomedical Signal Processing and Control, Vol. 4, No. 1, p. 2–6, January 2009.
  4. John Allen “Photoplethysmography and Its Application in Clinical Physiological Measurement” Physiological Measurement, Vol. 28, No. 3, p. R1, 2007.
  5. Bing Nan Li, Ming Chui Dong and Mang I. Vai “On an Automatic Delineator for Arterial Blood Pressure Waveforms” Biomedical Signal Processing and Control, Vol. 5, No. 1, pp. 76–81, 2010.
  6. Margareta Sandberg, Qiuxia Zhang, Jorma Styf, Björn Gerdle and Lars-Göran Lindberg “Noninvasive Monitoring of Muscle Blood Perfusion by Photoplethysmography: Evaluation of a New Application” Acta Physiologica,Vol. 183, No. 4, pp. 335–343, 2005.
  7. Mohanalakshmi Soundararajan, Sivasubramanian Arunagiri and Swarnalatha Alagala “ An Adaptive Delineator for Photoplethysmography Waveforms” Biomedical Engineering/Biomedizinische Technik, Vol. 61, No. 6, p. 645–655, January 2016.
  8. Bing Nan Li, Ming Chui Dong and Mang I. Vai “On an Automatic Delineator for Arterial Blood Pressure Waveforms” Biomedical Signal Processing and Control, Vol. 5, No. 1, pp. 76–81, 2010.
  9. Philip McLeod and Geoff Wyvill “A Smarter Way to Find Pitch” ICMC, 2005.


【著者紹介】
井口 璃音(いぐち りおん)
アナログ・デバイセズ株式会社
デジタルインフラストラクチャー ビジネスグループ
ヘルスケア
フィールドアプリケーションエンジニア

■略歴

  • 2020年3月北海道大学工学部 卒業
  • 2020年4月アナログ・デバイセズ(株)(米国Analog Devices, Inc. 日本法人)入社
  • 以降フィールドアプリケーションエンジニアとして、主に医療機器向け各種ICのアプリケーションサポートに従事。