ワイヤレス生体計測技術
Wireless Sensing of Physiological Signals(1)

阪本 卓也
京都大学 大学院工学研究科
教授
阪本 卓也

1.人体計測システムの普及

 人体計測が大いに注目される時代になった。例えば、ウェアラブルデバイスを身に着けることは日常風景となっている。スマートウォッチのみならず、スマートリングやスマートグラスなども登場し、さながらSF映画で描かれる未来社会のようである。こうしたウェアラブルデバイスには、脈波・加速度・酸素飽和度などの生体情報を計測できるものも多く、こうした生体情報データと連携するスマートフォン上のアプリによってさまざまなサービスが提供されている。また、人体計測といえば、光学カメラや深度カメラなども忘れてはならない。特に、画像処理技術や機械学習の応用による個人識別技術の発展に伴い、カメラによる人体計測が多くの用途へ応用されるようになってきた。
 しかし、これら既存の人体計測技術は万能ではなく、それらの欠点も無視し得ない。例えば、ウェアラブルデバイスのような接触型センサは、使用時の不快感や皮膚の炎症などが生じる場合がある。また、カメラなどの光学センサは、映像データを悪用される恐れがあり、個人情報の漏洩・プライバシー侵害などの懸念が否定できない。これらの欠点を回避できる人体計測技術として、レーダなどの電波センサによるワイヤレス生体計測への期待が高まっている。電波センサは非接触であるため、装着の不快感や皮膚の炎症などの心配がなく、カメラとは異なりプライバシーに関する懸念も少ない。その上、マイクロ波やミリ波は衣服や布団などを容易に透過し、皮膚表面を直接測定できるため、就寝時や着衣時など、シーンを選ばずに呼吸や心拍などの生体計測が可能となる。
 各種の人体計測システムの比較を図1に示す。本稿で紹介するワイヤレス生体計測は電波センサを利用したものであり、表内の水色の部分に対応する。図に示されたシステムのうち、複数人を同時に、プライバシーに配慮しつつ、常時計測できるものは、電波センサによるワイヤレス生体計測のみである。そこで、以下では筆者らの取り組みを中心にワイヤレス生体計測技術を解説する。解説する技術の詳細については、筆者らの論文1)や原稿2)を適宜参考にしていただきたい。

図1 人体計測システムの比較
図1 人体計測システムの比較

2.ワイヤレス生体計測のこれまで

 電波による生体計測はこれまでどのように発展してきたのだろうか。1970年代には早くも10 GHz帯レーダによる動物の呼吸計測、および、人体の心拍計測が報告され、1990年代には別のグループにより人体の呼吸と心拍の計測が報告されている。このように、ワイヤレス生体計測自体はすでに50年程度の歴史を有する。
 一方、コストの問題によりレーダによる生体計測の社会応用はなかなか進まなかったが、1980年代から1990年代にかけて、小型化が可能なモノリシックマイクロ波集積回路(monolithic microwave integrated circuit: MMIC)の研究開発が欧米を中心に盛んになり、1990年代から2000年以降、無線通信サービスの普及に伴い、MMICの低コスト化が進んだ。続いて、より高い周波数帯であるミリ波帯への展開が進み、2000年代後半には車載レーダ用のミリ波MMICも広がった。その結果、現在ではマイクロ波帯からミリ波帯にかけての小型レーダモジュールが安価に入手できるようになっている。
 このように、無線サービスなどに牽引されて低コスト化したレーダモジュールを活用することで、消費者向けのワイヤレス生体計測の活用が容易になってきた。2020年には国内でも人体計測などを想定した周波数帯の法制化が進められ、一部のスマートフォンやスマートディスプレイにレーダが搭載されるにいたり、ワイヤレス生体計測技術が身近で利用される時代となった。

3.皮膚変位のワイヤレス計測

 人体の皮膚表面には数十ミクロンから数ミリ程度の微小な変位が見られることが一般的である。こうした変位は呼吸や心拍などの生体情報を含むため、レーダによるワイヤレス生体計測では皮膚変位の計測に加え、皮膚変位を生体信号に変換する信号処理技術が必要となる。
 まず、対象とする人体における電波の反射点が1点のみとなる理想的な場合を考える。この場合、反射波の位相はアンテナから人体反射点までの距離に(半波長の整数倍の不確定性を除いて)比例する。アンテナから人体反射点までの距離は、時間的に変動しない平均距離、体動による変位、呼吸による変位、心拍による変位という4つの成分の和として表すことができる。
 レーダの受信信号を複素信号で表現すると、複素平面上で円に沿って時間変動する成分(体動や生体信号)に加え、送信波の漏れこみや静止物体からの不要反射波に相当する直流成分(静止クラッタという)が含まれる。静止クラッタを除去するためのさまざまなアルゴリズムが提案されており3)、そうしたアルゴリズムにより静止クラッタを除去した後の信号の位相を用いて、目標までの距離の変化を時間の関数として算出できる。その後、体動、呼吸、心拍などの成分に分離し、生体信号の解析が行われる。この分離には周波数領域でのフィルタリング4)、ウェーブレット解析、経験的モード分解など、さまざまな手法が用いられている。



次回に続く-



参考文献

  1. 阪本卓也, “超広帯域レーダとワイヤレス人体センシング技術,” 電子情報通信学会論文誌B, vol. J103-B, no. 11, pp. 505-514, Nov. 2020.
  2. 阪本卓也, “ミリ波レーダによる人体センシング,” Microwave Workshops & Exhibition (MWE) 2021, ワークショップ, Nov. 25, 2021.
  3. S. Okumura, T. Sakamoto, T. Sato, M. Yoshioka, K. Inoue, T. Fukuda, and H. Sakai, “Comparison of clutter rejection techniques for measurement of small displacements of body surface using radar,” Electronics Letters, vol. 52, no. 19, pp. 1635-1637, Sep. 2016.
  4. T. Sakamoto and T. Koda, “Respiratory motion imaging using 2.4-GHz nine-element-array continuous-wave radar,” IEEE Microwave and Wireless Components Letters, vol. 30, no. 7, pp. 717-720, Jul. 2020.


【著者紹介】
阪本 卓也(さかもと たくや)
京都大学 大学院工学研究科電気工学専攻 教授
Professor, Kyoto University
Department of Electrical Engineering, Graduate School of Engineering

■略歴
 平12京大・工・電気電子卒.平17同大大学院情報学研究科通信情報システム専攻博士課程了.同大学院にて日本学術振興会特別研究員PDを経て,平18同大学院情報学研究科通信情報システム専攻助手,平19より同助教,平27兵庫県立大学大学院工学研究科電子情報工学専攻准教授,平31京都大学大学院工学研究科電気工学専攻准教授,令4同教授.その間,平23から平25まで日本学術振興会海外特別研究員としてオランダ王国デルフト工科大学客員研究員兼任.平29 米国ハワイ大学マノア校客員研究員兼任.平30から令4まで科学技術振興機構さきがけ研究者兼任.アンテナ伝播国際シンポジウム最優秀論文賞(平24),電子情報通信学会通信ソサイエティ活動功労賞 (平27, 平30),堀場雅夫賞(平28),電子情報通信学会エレクトロニクスソサイエティ活動功労表彰 (平31),電子情報通信学会エレクトロニクスシミュレーション研究会優秀論文発表賞(一般部門)(令4),電気通信普及財団賞 テレコムシステム技術賞(令4)各受賞.IEEEシニア会員,電子情報通信学会正員,電気学会正員,システム制御情報学会正会員.京都大学博士(情報学).システム理論的センシング,ワイヤレス生体計測,レーダイメージングを研究テーマとしている。