ハイパースペクトルフィルタアレイの応用(下)

丸善インテック(株) 技術顧問
仲井 淳一

 前項で述べたように、ハイパースペクトルフィルタアレイ技術は工業、農業、医療、食品関連など広い分野での応用が期待されているが、これらの利用分野での現状、さらに近年注目されているヘルスケア分野での可能性について紹介する。

1.利用分野1)2)

1.1 工業分野

 基本は人の目では判定の難しい微妙な色の違いを、専用のソフトウエアを併用して認識するというもので、例えば、廃棄物の選別(プラスチックゴミの分別)やプラスチックゴミの材質毎の選別(PET、PP、PEなど)、さらに農産物(米などの穀物)や海産物などへの異物(金属、石類、木片など)の混入の識別にも利用されている。また工業製品や美術工芸品を微妙な色(反射光)で区別することも可能である。

1.2 農業、食品分野

 近赤外分光法の特長の一つは、非破壊検査で成分分析が可能ということであるが、ハイパースペクトルフィルタアレイを搭載したカメラ(ハイパースペクトルカメラ)を用いると、可視光から赤外線の波長領域での検査も行えるので、より多くの情報が得られる。あらかじめ標準サンプルで検量線を登録することで、リンゴやイチゴの糖度(Brix値)を非破壊で測定したり、人の目では判別しづらい傷み具合も判定できる。また透明なラップで覆われたパック内のサケの切り身の鮮度を非接触で精度良く予測することなどの実測例もある(図1)。さらに食品の原料識別や異物混入に対しても活用でき、食品の品質、衛生管理に利用することができる。
 植物の葉や種子の成長や発育の様子をハンディカメラで測定したり(図2)、小型ヘリコプターやドローンにハイパースペクトルカメラを搭載して、農場の作物の成長度合いを管理、調査することなどはすでに実用化が始まっている(図3)。

図1 サケの切り身の分光測定(a)(b)とその鮮度予想(c)
図1 サケの切り身の分光測定(a)(b)とその鮮度予想(c)
図2 植物の葉の観察風景
図2 植物の葉の観察風景
図3 農作物の成長度合い管理風景
図3 農作物の成長度合い管理風景

1.3 医療、製薬分野

 薬剤の飲み間違いや錠剤の紛失を防ぐために、薬剤の一包化(服用時期が同じ数種類の錠剤を一つの袋にまとめること)はすでに世の中に広がっているが、一方で薬剤業務や鑑査業務が複雑となり、また酷似した色や形状の錠剤が混入したり、入れ替わって一包化されて、そのまま患者が服用してしまう可能性がある。このようなリスクを事前に回避するために、錠剤の色や形状を画像処理して判別する装置があるが、ここにハイパースペクトルカメラを装備することによって、RGB画像だけでは判別しにくい類似の形状の錠剤も、近赤外線領域の分光を測定することによって、容易に判別することができる。
 さらに、医薬品の品質管理の一環として、含有成分がその医薬品と関連する梱包ラベルの内容と一致しているかどうかの判定(原料識別)をすることができる。同様に原材料の定量化や特定の試料中の特定の化学物質の濃度の判定等、定量分析の手段としてハイパースペクトルフィルタを使った分光分析によって可能となる。
 近赤外光は生体透過性に優れており、可視光の生体組織深さの到達深度が2〜3mm程度に対して、波長が1000〜1700mmの近赤外光では約20mm程度の深さまで届くことが知られている3)。ハイパースペクトルカメラは1画素ごとに分光し撮影することができ、かつ非破壊で成分分析できるため、生体深部の病変の診断にも応用され始めている。例えば、可視光による内視鏡だけでは診断できない生体深部にできた病変(腫瘍など)も、近赤外光を使ったハイパースペクトルカメラで検出できる可能性がある4)

1.4 環境、健康分野

 ハイパースペクトルカメラを使って、水質や土壌の汚染範囲や二酸化炭素の放出量のモニタリング、資源探索や鉱物の分類、特定、さらには森林樹木の植生分布の学術調査などにも利用されている。また目視やRGB画像では確認できないものも、近赤外光を照射してハイパースペクトルカメラで撮影することによって、その存在を認識することができる。それによって防犯、防衛や動植物の生態調査にも活用が期待できる。
 また先に述べた近赤外光の生体透過性を利用して、パルスオキシメータによる血中酸素飽和度の測定が実用化されているが、現在の静脈採血による血液検査も、ハイパースペクトルフィルタアレイを搭載したセンサを利用すれば、採血せずに血液の数値データを取得できるようになるかもしれない(図4)。

図4 近赤外光照射による静脈分光データの取得イメージ図
図4 近赤外光照射による静脈分光データの取得イメージ図

2.ハイパースペクトルフィルタアレイのウェアラブル機器への搭載

 世界的な高齢化で関心が高まるヘルスケア分野の市場規模は、2030年には500兆円を超えるとされる。膨大な健康情報(ヘルスデータ)を収集、分析することによって、個人に適した健康作りから、治療法の開発、健康を支える住宅や街づくりまで、新たな市場が創出されようとしている。これらのデータを病院や介護施設などとも共有すれば、無駄な投薬や検査も省け、2040年度には70兆円に上るとされる医療費の抑制にもつながる5)
 この個人のヘルスデータを取得する手段として、Viavi Solutions社からスマートフォンやスマートウォッチなどに搭載されるウェアラブルフィットネストラッカー(装着型健康管理追跡装置)が提案されている6)。これは複数のセンサから受信するセンサデータに基づいてユーザ活動の測定を行うことができるもので、例えば、生活活動中あるいは運動中のユーザ活動を推定するために、種々のセンサ(分光器、加速度計、心拍センサ、血圧センサ、血糖値センサ、発汗センサ、皮膚伝導センサまたは画像センサなど)を備えている。これらのセンサからのデータを抽出、処理して、ユーザの健康状態を管理し、さらにそのセンサデータに基づいて推定移動距離、推定カロリー消費量、推定代謝当量(METs:Metabolic Equivalents)さらにはダイエットプランや運動プランなどを提供するというものである。
 具体的には、スマートウォッチに搭載されたセンサが、腕の血管などから食後の血糖値の上昇などを感知して、実際に体内に吸収されたカロリーを推測する。そしてそれが、心拍数などから測った生活活動全体の消費カロリーとともに連携したスマートフォンの専用アプリに表示される。血糖値だけでなく、心拍数、血圧値、血中酸素飽和度や心電図、心房細動などユーザの健康状態を管理し、発症前に注意を促し、適切な指示を出し(水分補給など)、異常があれば発信するシステムも実用化されつつある。
 このようなウェアラブル機器にハイパースペクトルフィルタアレイ(HFA)を搭載したカメラやセンサを組み込むことによって、情報量が増え、測定対象も広がる。さらにカメラによって食品中のアレルギー物質の有無分析や目前の料理のカロリー計算、服用する医薬品の識別など、健康保持と予防にも貢献できると期待できる。また日常生活では、先にも述べた生活ゴミの区別(プラスチックゴミの分別)や飲食物の鮮度、傷み具合、あるいは異物の混入などを瞬時に判断できるなど、様々な活用方法が考えられる(図5)。

図5 HFAをスマートウォッチに搭載したイメージ図
図5 HFAをスマートウォッチに搭載したイメージ図

 これまでハイパースペクトルフィルタアレの技術と応用について2回にわたって紹介してきた。この技術が工業、農業、医療、食品、環境関連等、ますます応用範囲が広がり、私たちの生活に大きく貢献していくことはもちろんのこと、この技術を使った分光器がウェアラブル機器に搭載されることによって、さまざまな科学的測定を自分であるいは自動で行うことができるようになる。近い将来、自らの健康状態を知り、管理することはもちろんのこと、日常生活を取り囲む環境(空気や水)や身の回りの物質の組成についても正しい情報が得られるようになり、誰でも安心で快適で、かつ健康な生活を送ることができる社会が到来するだろう。



参考文献

  1. https://www.viavisolutions.com/en-us
  2. https://www.klv.co.jp/hyperspectral/case_study/
  3. 梅澤 雅和 他 著 『ぶんせき』 2020年11月号p.420-425
  4. https://www.ncc.go.jp/jp/epoc/index.html
  5. 読売新聞2021年12月10日版
  6. 公開特許公報 2020-184349

尚、図1〜5はViavi Solutions社の2022年2月時点での公開サイトから抜粋したものである。



【著者紹介】
仲井 淳一(なかい じゅんいち)
丸善インテック株式会社 技術顧問

■著者略歴
1981年 京都大学大学院理学研究科 修士課程修了
同年 シャープ株式会社入社
技術本部中央研究所にて固体撮像素子の研究開発プロジェクトチームに参画
2003年 シャープ株式会社センサー事業部開発部長
2016年 シャープ株式会社定年退職
2017年 丸善インテック株式会社 技術顧問、現在に至る。