弾性波フィルタとは何か-FBARやSMRをわかりやすく、詳しく解説(2)

東北大学 大学院
工学研究科ロボティクス専攻
教授 田中秀治

5. スプリアス応答とその対策

スプリアス応答についてその理解を助ける別の説明を試みよう。仮にFBARの振動膜が空中に浮かんでいて、図4 (a)に示すように純粋に膜厚方向に伸び縮みしているだけだとする。これは理想的な状態でピストンモードと呼ぶ。その振動周波数は、縦波の音速をv、振動膜の厚さをhとするとv/2hである。この振動モードだけなら単純であるが、実際はそうはならない。まず、振動膜の周囲が固定されていると、図4 (a)の代わりに図4 (b)のような振動モードとなるだろう。また、図4 (c)、(d)に示すような振動モードも存在すると思われる。図4 (b)~(d)を見比べると、これは、振動膜の膜面に沿った方向に異なる波数kxの波(板波)が伝搬して定在波が生じている状態だと理解できる。kxの異なる波は周波数が異なるから、図4 (b)に相当するピーク、すなわち欲しいピークの他に、図4 (d)に相当するピークやそれよりkxの大きいモードのピーク、すなわちスプリアス応答が現れる。これが図3の状態だ。

図4 FBARの振動モード

スプリアス応答を無くすためには、FBARの振動を図4 (a)のようなピストンモードだけにできればよい。これは振動膜の外周に図5 (a)に示すような小細工を施せば理論的に可能である。その理由はここでは省略するが、このような小細工によって、図4 (b)~(d)の振動をそれぞれ図5 (b)~(d)のように変えられる。固定端であった外周があたかも自由端のように振る舞うわけである。図5 (b)はほとんどピストンモードである。図5 (c)、(d)はスプリアスモードであるが、圧電膜上の電極で正負の電荷がキャンセルするため電気的に励振されない(実は図4 (c)も)。NHKの人気番組「ブラタモリ」でタモリは「へり」が面白いと言っているが、BAWデバイスもしかりである。

図5 FBARのスプリアス応答対策

へりの工夫によってスプリアス応答は減らせるが、それだけでは不十分である。ここまでに、板波がへりで反射して定在波を作り、振動面に周波数ごとに異なる振幅分布が生じ、スプリアス応答が起こると描像してみせた。ということは、BAW共振子の形状を図6のようにすれば、反射を繰り返した板波は閉ループを描かず、定在波は起きにくくなる。BAW共振子が奇妙な形をしているのはそのためである。これはアポダイゼーションと呼ばれる。

図6 BAW共振子のアポダイゼーション

6. 弾性波デバイスの将来

さて、MEMSのディフェンディングチャンピオンであるBAWデバイスに敵はいるのか。いる。HAL(Hetero Acoustic Layer) SAWデバイスなどと呼ばれる新型SAWデバイスである。これは、図7 (b)に示すように、波長程度以下に薄い、具体的には厚さ1 μm程度以下のLiTaO3単結晶またはLiNbO3単結晶を別の基板で支持した構造を有する[5]。この構造によって、従来構造(図7 (a))では基板に漏れる弾性波を表面の圧電単結晶に閉じ込められる。漏れが少なければ、振動エネルギーの損失が少なく、Q値を高くできる。しかも、基板を水晶にしたり、LiTaO3単結晶の下にSiO2膜を付けたりすることで、共振・反共振周波数の温度依存性(TCF)を小さくできる。LiTaO3やLiNbO3を含めておおよその物質は温度が上がると柔らかくなるので、負の温度係数を持っている。しかし、SiO2やある結晶方向の水晶は温度が上がると硬くなる性質、すなわち正の温度係数を持っている。これらをお互いにキャンセルさせてTCFを小さくしようというわけだ。HAL SAWデバイスは、基板の層構成、結晶方向、電極構造などに設計パラメーターが多いため、BAWデバイスより様々な優れた可能性を秘めていると期待されている。

図7 (a) 従来のSAWデバイスと(b) HAL SAWデバイスの構造

もう1つ問いを投げかけておこう。BAWデバイスはどこまで高周波化できるのか。これはFAQでもある。5Gの新バンドn77、n78、およびn79は3.5~5 GHzと高い周波数帯にあるが、BAWフィルタで対応できるのかという問いである。5Gでは28 GHz帯のミリ波も用いられる。これはどうかという問いでもある。前者は対応可能、後者は難しいというのが今のところの答えである。

既存のBAWデバイスの高周波化すると、次のような難しさが生じる。まず、材料の音響損失はおおよそ周波数の自乗に比例する。材料損失について支配的なのは電極膜である。高周波化して振動膜を薄くすれば、電極膜は圧電膜に対して相対的に厚くなる方向で、音響損失についてより一層厳しくなる。次に、高周波化するとBAW共振子のインピーダンスが下がる。振動膜が薄くなると静電容量Cが小さくなり、しかも周波数(角振動数ω)が大きくなるので、インピーダンス1/jωCは周波数の自乗に反比例して下がることになる。したがって、50 Ω整合のためには、それをキャンセルするようにBAWデバイスを小さくしなくてはならない。BAWデバイスが小さくなれば、へりの影響は相対的に大きくなり、損失とスプリアス応答が増える。耐電力性も厳しくなる。これらの理由から上述のような答えとなるわけだ。

ミリ波まで欲張らなくても、BAWフィルタの市場にはまだまだ十分な伸び代がある。有望な市場だけに新たな参入者はいるが[6]。私は、既存のBAWデバイス、HAL SAWデバイス、そして新しいBAWデバイスが切磋琢磨して発展する未来を思い描いている。

[5] 田中秀治, 「成熟したはず」の弾性表面波フィルターが、新技術開発ブームに沸くワケ, 日経xTECH, 2020/2/21, https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/03663/

[6] 田中秀治, 中国教授の産業スパイ事件で有罪評決、スマホフィルター技術窃盗, 日経xTECH, 2020/8/19, https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00001/04470/



【著者紹介】
田中 秀治(たなか しゅうじ)
東北大学 大学院工学研究科 ロボティクス専攻 教授

■略歴
1999年3月 東京大学大学院工学系研究科産業機械工学専攻博士課程修了
1999年4月 東北大学大学院工学研究科助手
2013年8月 同教授
2004年1月~2006年3月 JST研究開発戦略センターフェロー
IEEE Fellow 日本機械学会フェロー