においセンシングシステムの研究動向(1)

東京工業大学 科学技術創成研究院
教授 中本 高道

1.はじめに

現在、世界各地でにおいセンシングシステムの研究が進められている。においセンシングシステムはにおいの種類を識別したりにおい濃度を計測するもので、食品、飲料、化粧品、ヘルスケア、環境計測等が応用分野となる。
生物の嗅覚では個々の嗅覚受容体の特異性は必ずしも十分ではないが、特性の異なる多数の嗅覚受容体の応答パターンをパターン認識して匂い種類を識別している。Persaudはこの原理を人工センサに応用し1)、筆者はニューラルネットでパターン認識して匂いを識別する方法を共に1980年代に提案し2), その後多くの研究者がこの分野に参入した3,4)。現在は、匂いセンサの国際会議(ISOEN: International Symposium on Olfaction and Electronic Noses)も隔年で開催され、2019年は日本で開催された(組織委員長:九州大都甲教授)5)。 本稿では、においセンサに関する最近の研究を筆者らの研究を中心に紹介する。

2.においバイオセンサ

前節でも述べたが、生体嗅覚では多数の嗅覚受容体応答パターンをパターン認識してにおい種類を識別している。その様子を図1に示す。通常、バイオセンサでは抗原抗体反応や酵素基質反応を利用して高い選択性を有するセンサを実現しようとする。しかし、嗅覚受容体は複数の匂い物質に応答するので、多数の嗅細胞の応答パターンをパターン認識してにおい識別を行う。嗅覚受容体はたんぱく質であり、たんぱく質は化学物質の立体化学構造を認識するのに優れている。同図のように部分的な匂い分子形状の情報を中心にして、嗅覚受容体は応答していると考えられる。このように、嗅覚受容体をセンサ素子としてにおいセンシングシステムを構成したものを、においバイオセンサと呼ぶ。
これまでに、様々なセンサを用いてにおいセンサを構成する方法が提案されてきた。しかし、パターン認識を使用するにもかかわらずセンサの選択性向上は課題である。そのためには、嗅覚受容体そのものをセンサにする方法が有効と考えられる。そこで、バイオ関連の研究者と共同で、においバイオセンサの研究を行った。

図1.匂い識別の原理

図2に示すように、このセンサ素子はSf21細胞に昆虫(ショウジョウバエ)の嗅覚受容体を発現させたものである6)(東大先端研:神崎亮平教授提供)。細胞の中にCa2+感受性蛍光たんぱく質GCaMP6Sを発現させているので、細胞に励起光(488nm: 青色)を照射することにより蛍光(510nm: 緑色)が発生する。Ca2+濃度が上昇するとこの蛍光強度は増大する。嗅覚受容体でにおい分子を受容すると、イオンチャネルが開きCa2+が細胞内に流入して、Ca2+濃度の上昇によりGCaMP6sから発生する蛍光強度が増大する。この蛍光強度変化をセンサ応答とする。なお、将来的に気相実験に拡張する予定であるが、現段階では液相測定である。

図2.においバイオセンサ素子の動作原理

このセンサ素子を用いたにおいセンシングシステムの原理を説明する7, 8)。 複数の嗅覚受容体細胞を測定チャンバ内にランダムに播種する。そして、におい刺激を与えてその細胞画像をイメージセンサで撮影する。そして、図3に示すように細胞画像をパターン認識することによりにおい認識を行う。
複数種類の嗅覚受容体発現細胞があるが、どの場所にどの嗅覚受容体を置くかはあらかじめ決めていない。しかし、においごとに得られる画像が異なるので、におい種類の識別が可能である。嗅覚受容体の種類により場所を区別する場合は、嗅覚受容体の種類は多数あるのですべての受容体を網羅するためには複雑な細胞固定化のプロセスが必要になる。本手法は嗅覚受容体位置を特定する必要がないので数十~数百種類の嗅覚受容体に容易に拡張できる方式である。

図3.においバイオセンサによるにおい識別の原理

画像の中では、細胞外の場所はにおい識別の情報を含まないために不要であり雑音となる。そこで、まず画像処理により細胞位置を認識し、細胞内の蛍光強度を積分してセンサ素子の応答を得る。この処理を画像内のすべての細胞について行い、多次元ベクトルを構成する。このベクトルの次元数は細胞の数に等しく、数百次元のデータとなる。この応答ベクトルを用いて匂い識別実験を行った。
ここでは原理検証の基礎実験のために、2種類の嗅覚受容体(OR56a, OR13a)を用いてカビ臭の代表物質であるgeosminと1-octen-3-olの識別実験を行った。最初にgeosminと1-octen-3-olに対して1回ずつ測定を行い教師データを得る。そして、以降の測定で得た応答パターンがいずれのにおいであるかを線形判別分析で識別した。使用した細胞数は160個である。線形判別分析では、群の中心と計測データの間でマハラノビス汎距離を計算する。表1にその結果を示す。距離が小さい方に判別されるので、すべての場合について正しく判別することができた。ここでは2種類の嗅覚受容体を用いて2種類の匂い識別を行うのみであるが、本手法は拡張が容易であり今後複雑なにおい識別も可能と考えられる。

表1.においバイオセンサを用いたカビ臭判別結果 7)

3.電界非対称イオン移動度スペクトロメトリ

前節とは別のセンサであるが、画像によりにおい計測を行うもう1つの手法を紹介する。この方法はイオン移動度スペクトロメトリの1手法であり、FA IMS (Field Asymmetric Ion Mobility Spectrometry)と呼ばれる。ガス分子をイオン化して電界をかけて、におい分子の種類ごとに移動度が異なることを利用して速度差を検出する。図4(a)にその原理を示す。垂直方向に非対称な高周波交流電界を印加する。イオン化したガス分子は同図のようにジグザグ進行しバランスしたものだけが通過して検出器に到達する。図4(b)に示すように対称なラインからのバイアス分をCV(Compensated Voltage), 正の部分の大きさをDF(Dispersion Field)とすると図4(c)のような画像が得られる。この画像がにおいの種類、濃度によって変るために画像処理によりにおい識別が可能となる。におい識別はガスの種類や濃度により移動度が変ることにもとづいている。FA-IMSは質量分析器のように真空状態を必要とせずに大気状態で計測可能であり微量なガスの計測が可能であるが、質量分析器のように線形重ね合わせが成立しない。

図4.FAIMSの原理.
(a) 構造、(b)印加電界、(c) におい応答画像の例(アセトン16ppm)

本研究では、FA IMSを用いて混合臭の濃度定量を行った9)。3成分(アセトン、エタノール、ジエチルエーテル)の混合臭の各成分の濃度を求める。非線形性が強いために重回帰分析やPLS(Partial Least Squares)法などはではなく、非線形最適化の手法を用いる。ここではその中でも基礎的な方法である最急降下法を使用した。図5にその原理図を示す。図5は2成分の場合であり、成分1、成分2の濃度を変化させて指標値を求める。指標値は対象ガスと調合ガスの差分画像の全画素の強度を加算した値であり、対象臭と調合臭が完全に一致した場合は指標値はゼロになる。

図5.FAIMSを用いて混合臭の濃度定量を行う原理

ここでは説明のために濃度指標曲面を書いてあるがその関数を知っている必要はない。現在の場所から指標値が小さくなる方向に周辺のデータから勾配を計算して次の更新点を求め、徐々に指標値が小さくなる方向に移動して最も指標値が小さくなるときの成分1、成分2の濃度を求める。オンラインで逐次探索を行って解を求める手法はアクティブセンシングと呼ばれ10)、非線形を有したりセンサ応答に経時変化がある時に有効な方法である。また、センサの混合臭に対する応答モデルは不要なために汎用性が高い。さらに、この手法は一般性を有しn成分の混合臭濃度定量に拡張可能である。本研究では3成分の濃度定量を行った。混合臭濃度定量の実験例を図6に示す。同図で当初正解から離れた初期値が与えられたが5回の探索でほぼ正解の各成分濃度に到達することができた。

図6.3成分の混合臭濃度定量の実験例.
アセトン:3.3ppm, エタノール:1.1ppm, ジエチルエーテル:2.7ppm9)

次回に続く-

参考文献
1) K.C.Persaud and G.Dodd, Analysis of discrimination mechanisms in the mammalian olfactory system using a model nose, Nature, 23 (1982) 352-355.
2) T.Nakamoto and T.Moriizumi: Odor sensor using quartz-resonator array and neural-network pattern recognition, IEEE 1988 Ultrasonics symposium, 613-616.
3) Pearce, T.C., Schiffman, S.S., Nagle, H.T., Gardner, J.W. (Eds.). (2003). Handbook of machine olfaction. Weinheim, Germany: Wiley-VCH.
4) T.Nakamoto, Ed., Human olfactory displays and interfaces, IGI-Global, 2013.
5) https://isoen2019.org/
6) 14) Mitsuno, H., Sakurai, T., Namiki, S., Mitsuhashi, H., and Kanzaki, R.: Novel cell-based odorant sensor elements based on insect odorant receptors, Biosens. Bioelectron., 65, 287–294, (2015).
7) Y.Sukekawa, H.Mitsuno, R.Kanzaki, and T.Nakamoto, Odor Discrimination Using Cell-based Odor Biosensor System with Fluorescent Image Processing, IEEE Sensors Journal, 19 (2019) 7192-7200 (オープンアクセス).
8) 祐川、光野、神崎、中本、嗅覚受容体発現細胞の蛍光画像を利用したにおいの識別手法の検討、においかおり環境学会誌、50 (2019) 407-415.
9) Y.Yokoshiki and T.Nakamoto, On-line Mixture Quantification to Track Temporal Change of Composition Using FAIMS, Sensors, Sensors 2019, 19(24), 5442; https://doi.org/10.3390/s19245442 (オープンアクセス).
10) T.Nakamoto, S.Ustumi, N.Yamashita, T.Moriizumi, Y.Sonoda, Active gas/odor sensing system using automatically controlled gas blender and numerical optimization technique, Sens. & Actuators B, 20 (1994) 131-137.

【著者略歴】
中本 高道(なかもと たかみち)
東京工業大学 科学技術創成研究院 教授

■略歴
1984年 東京工業大学電気電子工学専攻修士課程了。同年日立製作所(株)入社。
1987年 東京工業大学助手
1993年 同大准教授
2013年 同大精密工学研究所教授、2016年科学技術創成研究院教授、現在に至る。工学博士。
1996-1997年、 米国パシフィックノースウェスト研究所客員研究員。ヒューマン嗅覚インタフェース、知覚情報処理、センサ情報処理の研究に従事。

■著書
電気電子計測入門(実教出版)
においと味を可視化する(共著、フレグランスジャーナル社)
Essentials of machine olfaction and taste (編著書, Wiley)
Human olfactory displays and interfaces (編著書、IGI-Global)
嗅覚ディスプレイ(編著書、フレグランスジャーナル社)
センサ工学(共著、昭晃堂)