脳波解析に基づいた超可聴音源の感性計測(1)

長岡技術科学大学 大学院工学研究科
教授 中川 匡弘

1.はじめに 

20世紀末期の急速な産業構造のグローバル化に伴い、サプライチェーンを基軸とする垂直統合型からバリューチェーンを主体とする水平分業型のモノづくりに移行する中で、21世紀のモノづくりの基軸である価値創造に資する技術基盤の確立が急務とされている1)
上記のような観点から、最近では、音響機器におけるハイレゾ機器がグローバル化に埋没しないための新規付加価値として注目されている。一般的に人間の可聴帯域は20~20k[Hz]の周波数帯域に限定されると報告されており、CDのスペックの規格化の際に人間の可聴帯域以上の周波数帯域は不要として、CDの再生可能な周波数が規格化された2)。しかしながら近年、人間の可聴領域を超える周波数帯の音も含む「ハイレゾリューションサウンド」が普及しつつあり、脳波や脳血流の計測によって、意識的な認識なしで人間の脳活動に影響を及ぼす可能性が確認されている3)-7)。人間の可聴域の上限である20[kHz]以上の超高周波成分を含むことにより、超高周波成分を含まない音に比べ、0.5~2[dB]ほど大きな音量で聞こえることが明らかになっている8)-10)
従来、感性・感情を評価する際には、SD法(Semantic Differential Method)などによるアンケート評価法などが行われてきた。しかし、人間が抱く感性や感情は主観的なものであり、個人差が大きいため、客観的、定量的な評価が困難となる。これまでに感性を客観的に評価する取り組みとして、脳の活動状態を解析することにより、感性を定量化する試みが行われている11)-13)。佐藤らは2002年に、カオス・フラクタル性に基づき、脳波の複雑性を定量化するフラクタル次元値を特徴量とし、人間の感情を認識する手法、感性フラクタル次元解析手法(Emotion Fractal-dimension Analysis Method: EFAM)を提案した14),15)。実際にこの手法は、商品の感性評価手法や16)-21)、人間の脳波などの生体信号だけで機械を制御するBCI(Brain Computer Interface)にも用いられている13),22)

本稿では、従来の圧縮音源と比較して、ハイレゾ音源が人間の感じる感覚・認知に対して及ぼす影響を、脳の活動状態を通じて調査した。その一つの影響として、人間の感性に着目し、感性識別により快や喜び、落ち着きといった正の感情の喚起に加え、怒りや不安、ストレスといった負の感情を和らげる効果を確認した。

2.解析手法

2.1 フラクタル次元推定手法
脳波信号のフラクタル性に着目し、複雑性の指標となるフラクタル次元値を算出する。ここでは、分散のスケーリング特性を用いたフラクタル次元推定手法を用いることにより、フラクタル次元値を算出する。
時系列データf(t)と時刻τだけ離れたデータf(t+τ)のq次モーメントは次式で与えられる。

ここで、 <●>は統計平均を意味する。この時系列データに定常性とエルゴード性を仮定することにより、時間平均に置き換えられ、式(2)より図1のスケーリング特性を得る。

図1 スケーリング特性( q=2)

このスケーリング特性から以下の式(3)よりHurst指数を求めることができる。

フラクタル次元はこのHurst指数を用いることによって算出でき、dを埋め込み次元とすると、一次元時系列信号を対象とする場合はd=1であるので、次式によりフラクタル次元が算出される14)-16)

2.2 時間依存型フラクタル次元推定手法
本稿で扱う脳波信号は1秒から2秒の間で定常性が成り立つとされている23)。そこで、2.1フラクタル次元推定手法で解析を行う場合においては、上記の範囲で解析を行う必要がある。したがって、解析窓幅Wsと推移幅Wmを導入することにより、脳波信号の時系列解析を行う。電極配置を国際10-20法(図2)に基づき24)、計測した脳波信号(図3(a))に解析窓幅Wsを設け、その幅内で2.1フラクタル次元推定手法を用いてフラクタル次元を算出し、次に推移幅Wmだけシフトし、解析窓幅内でフラクタル次元を算出する。同様な操作を繰り返し行い、時間に依存したフラクタル次元値(図3(b))を算出する。図3は図2のFp1での結果であり、0~30[s]間は画像注視し、その後30[s]の間は画像想起した際のフラクタル次元の時系列データである14)-16)

図2 電極配置図
(a) 脳波信号
(b) フラクタル次元

図3 時間依存型フラクタル次元推定解析

2.3 感性フラクタル次元解析
算出した脳波の特徴量であるフラクタル次元をパターン認識することにより、人の感性を分類する感性フラクタル次元解析手法(Emotion Fractal-dimension Analysis Method: EFAM)を用いて感性解析を行う。
分散のスケーリング特性に基づいたフラクタル次元解析から得られたフラクタル次元を入力ベクトルx(t)とし、感性出力をz(t)とすると、EFAMの関係式は式(5)、(6)で表される。

ここで、Mは電極のチャンネル数であり、Nは感性の数、Cは感性マトリクス、dは定数ベクトルである。感性マトリクスCと定数ベクトルdの決定は、教師信号と、基準となる脳波データをフラクタル次元解析で導出した入力ベクトルから算出される。例として3感性の識別をする際、「安静」の感情時の入力ベクトルを教師信号zt=(1,0,0)Tとする。
さらに他の感情でも同様に、「快」の感情時の入力ベクトルを教師信号zt=(0,1,0)T、「不快」の感情時はzt=(0,0,1)Tとなるように最小二乗法で感性マトリクスCと定数ベクトルdを決定する。これらを式(6)に用いることで、評価用データを入力することにより、感性出力z(t)を得る14)-16)

3.実験方法

3.1 プロトコル
ここでのプロトコルは基準測定1、課題測定、基準測定2の3つからなる。
まず、測定開始前に「快」、「不快」、「安心」、「不安」のそれぞれの感性を喚起する画像を被験者が選定する。測定者側が各々6枚の計24枚の画像を選び、被験者はそれぞれの感性の画像群から感性が最も想起しやすい画像を1枚ずつ選ぶ。画像は国際感情画像システム(IAPS:International Affective Picture System)から選定したものであり、ラッセルの円環モデルを適用した画像群から感性に当てはまる画像を選出した。
線形写像C、定数ベクトルdを決定するための測定とし、基準測定1、2を行う。この時のデータを以降リファレンスデータと呼ぶことにする。基準測定は、被験者に対して、開始前に被験者が選定した「快」、「不快」、「安心」、「不安」の画像をモニタ画面により提示する。「快」の時の測定の場合、30秒間前方のモニタに提示される画像を見ながら「快」を想起してもらい、その後、先ほど見た画像を閉眼で30秒間想起してもらう。この測定と同様に「不快」、「安心」、「不安」の測定を行う。また、課題測定後の基準測定2も基準測定1と同様の測定を行う。
次に、課題測定ではハイレゾ対応ウォークマン(SONY ZX-2)とハイレゾ未対応のウォークマン(SONY NW-S784)の2種類と、楽曲が異なる2種類の音源の計4通りで測定を行う。この際、時間依存による影響を考慮し、タスクの順番は被験者ごとに異なる。閉眼で2分間音楽を聴取し、その時の脳波データを計測する。このデータを以降評価データと呼ぶことにする。
また、タスクが1回ずつ終わる毎に、被験者は音色や音響の感性学25),26)に基づいた項目のSD法によるアンケート評価を行った。

3.2 被験者
音楽の聴取時の脳波を測定するにあたり、20代と30代、40代のそれぞれ4名(男性2名)、4名(男性2名)、2名(男性1名)を被験者とした。

3.3 使用機器
脳波計の測定装置は株式会社デジテックス研究所のPolymate(AP1532NS)を用い、サンプリング周波数は2[kHz]で測定を行った。またハード側のフィルタ処理として、LPF(ローパスフィルタ)を600[Hz]、HPF(ハイパスフィルタ)を0.5[Hz]とし、ソフト側のフィルタ処理としてノッチフィルタを50[Hz]とした。測定部位は、先ほど述べた国際10-20法に基づき、19chで測定を行った。ここで、右耳朶の電極をリファレンス電圧として、2点間の電位差を測定した。
課題測定で用いる音楽再生機器は、ハイレゾ対応機器としてSony社のNW-ZX2と、従来の圧縮音源の再生機器としてSony社のNW-S784を比較対照として用いた。また、今回はSony社のハイレゾ対応のヘッドフォンMDR-1A を再生機器に接続し、音楽聴取を行った。
本実験で使用した2種類の音源は、Miles Davisの”So What”と、Stevie Wonderの”You Are The Sunshine Of My Life”を用いた。”So What”は、24[bits]、192[kHz]のPCのサンプリング音源とし、”You Are The Sunshine Of My Life”のハイレゾ音源は24[bits]、96[kHz]のPCのサンプリング音源で演奏させた音源である。

次回に続く-

参考文献
1) 中川匡弘、カオス・フラクタル感性情報工学、日刊工業新聞社、東京、2010。
2) 八木玲子、仁科エミ、大橋力、”可聴域をこえる超高周波成分の信号構造が音の受容反応に及ぼす影響の複合評価指標による検討、”日本バーチャルリアリティ学会論文誌、vol.8, no.2, pp.213-220, Jun. 2003。
3) 山口政人、畠山英子、菊池光晃、森川岳、末吉修三、宮崎良文、”聴覚刺激が脳血液動態に及ぼす影響-NIRS計測を指標として-、”日本生理人類学会誌, vol.5特別号(2), pp.26-27, Nov. 2000。
4) 崔鍾仁、堀田健治、山崎憲、”超音波を含む波音の再生音が人間の生理・心理に及ぼす影響に関する研究-聴覚誘発電位の挙動・心理・性格検査を用いて その1-、”日本建築学会計画系論文集, vol.68, no.563, pp.327-333, Feb. 2003。
5) 索英海、石橋圭太、綿貫茂喜、”空気伝導による超音波がヒトの脳波に与える影響、”日本生理人類学会誌, vol.9, no.4, pp.157-161, Nov. 2004。
6) 大橋力、”可聴帯域外の音が聞こえるってほんと?、”映情学誌, vol.55, no.12, pp.1616-1618, Dec. 2001。
7) 大橋力、”インドネシアの打楽器オーケストラ”ガムラン”、”音響誌, vol.54, no.9, pp.664-670, Sep. 1998。
8) 大橋力、仁科エミ、不破本義孝、河合徳枝、森本雅子、”ハイパーソニック・エフェクトについて、”電子情報通信学会技術研究報告, vol.96, no.539, pp.29-34, Feb. 1997。
9) 小野寺英子、仁科エミ、中川剛志、八木玲子、福島亜理子、本田学、河合徳枝、大橋力、”ハイパーソニック・コンテンツを活用した駅ホーム音環境の快適化―高複雑性超高周波付加の心理的生理的効果について―、”日本バーチャルリアリティ学会論文誌, vol.18, no.3, pp.315-325, Sep. 2013。
10) 大橋力、仁科エミ、不破本義孝、”LPとCDとの音質のちがいについて:生理学的・感性科学的検討、” 電子情報通信学会技術研究報告, vol.94, no.89, pp.15-22, Jun. 1994。
11) 中川匡弘、”新商品開発における脳科学の活用~その進化と研究最前線~、” 研究開発リーダー、vol.13, no.7, pp.39-48, Oct. 2016.
12) 土生知恵美、”脳波診断を応用した商品開発~女性用の生理用品パンティライナーの香り開発~、” 顧客も気づいてない将来ニーズの発掘と新製品開発への活用, pp.138-141, 株式会社技術情報協会, 東京, 2013。
13) 中川匡弘、”脳波のフラクタル解析による咀嚼効果の評価、” 官能評価活用ノウハウ・感覚の定量化・数値化手法, pp.304-309, 株式会社技術情報協会, 東京, 2014。
14) 中川匡弘、”脳ダイナミズムのカオス・フラクタル性に基づいたBCI制御、”次世代ヒューマンインタフェース開発最前線, pp.355-382, 株式会社エヌ・ティー・エス, 東京, 2013。
15) 佐藤高弘、中川匡弘、”フラクタル次元解析を用いた感情の定量化手法、” 電子情報通信学会技術研究報告, HIP, ヒューマン情報処理, vol.102, no.534, pp.13-18, Dec. 2002。
16) 特許第3933568号, “脳機能計測装置”
17) 丸山貴司、橋本公男、中川匡弘、”脳波のフラクタル次元解析を用いた感性解析―爽快系シャンプー使用時の検討―、”日本知能情報ファジイ学会, vol.24, no.6, pp.1137-1153, Jun. 2012。
18) Herr Vaxeng、丸山貴司、中川匡弘、”脳波のフラクタル次元解析に基づいた衣服の新規着衣感性評価方法、”信学技報, vol.108, no.219, pp.47-52, Sep. 2008。
19) 丸山貴司、中川匡弘、”脳波のフラクタル解析によるテニスラケットの感性評価、” 信学技報, vol.108, no.442, pp.43-48, Feb. 2009。
20) 佐瀬巧、中川匡弘、”嗅覚と感性:脳波による感性フラクタル次元解析について、”Aroma research: Journal of aroma science and technology, vol.13, no.1, pp.16-20, Feb. 2012。
21) 佐久間平輝、中川匡弘、”可聴帯域を超えた聴覚刺激に対する感性計測、”第16回日本感性学会大会, B-15, Sep. 2014。
22) 松村浩昭、中川匡弘、”ヒューマノイドロボットの脳直結型制御に関する検討、” 信学技報, vol.106, no.345, pp.63-68, Nov. 2006。
23) 加藤比呂子、阿部一孝、寺門弘訓、今野紀雄、”脳波の時系列解析:定常性・フラクタル性・正規性、” 電子情報通信学会論文誌(D-II), vol.74, no.10, pp.1466-1471, Oct. 1991。
24) 大熊輝雄、臨床脳波学 第5版, 株式会社医学書院, 東京, 1999。
25) 岩宮眞一郎他、音色の感性学, 日本音響学会(編), 株式会社コロナ社, 東京, 2010。
26) 好美敏和、石光俊介、”時間周波数解析手法を用いた音響機器評価の基礎検討、”Pioneer R&D, vol.18, no.1, pp.1-18, Mar. 2008。

【著者略歴】
中川 匡弘(なかがわ まさひろ)
国立大学法人長岡技術科学大学・教授

■略歴
1982年3月 長岡技術科学大学大学院工学研究科 電子機器工学専攻修了
1982年4月 長岡技術科学大学工学部 助手
1988年2月 工学博士 (名古屋大学)
1988年3月-1989年1月 文部科学省甲種在外研究員(Strathclyde Univ. 数学科、連合王国)
1989年4月 長岡技術科学大学工学部 助教授
2001年6月 長岡技術科学大学工学部 教授
2004年4月 国立大学法人長岡技術科学大学 電気系 教授
2015年4月 国立大学法人長岡技術科学大学 技学研究院 教授
      兼 株式会社TOFFEE 代表取締役(2016年4月~)

フラクタル工学、カオスニューラルネットワーク、液晶の物理学に関する研究に従事。
著書に「Chaos and Fractals in Engineering」(World Scientific)、「カオス・フラクタル感性情報工学」(日刊工業新聞社)等がある。
2016年4月より、大学発ベンチャー企業である株式会社TOFFEEを設立し、代表取締役を兼務。
平成29年度科学技術分野の文部科学大臣表彰を受賞(科学技術振興部門)。